
今年の清明は、桜の花にさそわれてやってきた。「万物発して清浄明潔となる」。これを簡略して清明。春も盛りのころである。中国では、野に出て青草を踏み、先祖の墓参りが習慣となっていた。漢詩、杜牧の「清明」では、霧雨が降り、気晴らしに酒家を訪ねる。その場所を示すのは牧童で、酒家のあたりには杏の花が咲いている。杏花村は世俗の世界とは対極、いわば聖なる世界だ。そこを仲立ちするのは牧童の少年。仙人と留守番の牧童の役割でもある。
借問す酒家は何れの処にかある
牧童遥かに指さす杏花の村
同人誌「櫂」を始めた川崎洋と茨木のりこが、出会う場所は新宿の中村屋でカレーを食べ、紀伊国屋の喫茶でコーヒーを飲みながら、送付されてきたはがきの反響を読み合った。杜牧が目指した酒家と似ている聖なる場所であったかも知れない。昭和28年、戦後の傷が癒え終わらない東京で、新宿の中村屋や紀伊国屋という場所は、当時の若者の憧れの場所でもあったろう。川崎洋にこんな詩がある。「言葉」
演奏を聞いていなくても
人は
♪を耳の奥に甦らせることができる
言葉にしなくても
一つの考えが
人の心にあるように
むしろ
言葉に記すと
世界はとたんに不確かになる
私の「青」
はあなたの「青」なのだろうか?
あなたの「真実」は
私の「真実」?
二人が始めた「櫂」には、谷川俊太郎、吉野弘、大岡信、岸田衿子、中江俊夫らが参加する。この時、茨木のり子26歳、川崎洋22歳。戦後の新しい詩の世界がひらけていく。
