常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

小さい秋

2020年08月15日 | 日記
炎暑が続く。だが、窓を開け放った部屋を吹き抜ける風は、心地よい。地面の反射熱がないせいもあるが、せいぜい100mほどの高さでも風は皮膚感覚に馴染んだ温度になっている。2日ほど前、日没の時間に川沿いの道を歩いたとき、コオロギの澄んだ鳴き声が聞こえてきた。朝の散歩でも、木の実が目に入るようになった。稲の花は終わり、穂に実をつけ始める季節だ。マロニエの隣に、栗の毬が育っている。ボニージャックスの唄った「小さい秋見つけた」の曲が懐かしい。

思い出というものは、人を楽しませるもの
であるが、時には人を寂しがらせないでも
ない。精神の糸に、過ぎ去った寂寞の時を
つないでおいたとて、何になろう。
(魯迅『阿Q正伝』)

人は年を重ねていくうちに、懐旧談を好むようになる。寂寞を避け、ほんのわずかの成功体験に縋ろうとする。しかし、魯迅が言うように、過去の一時を思い出したとて何の益になろうか。いまある足の力で、どこまで歩けるかということが、今の自分には大切はことである。しかし、一時、ボニージャックスの歌声に耳を傾けるのは、悪いことではない。その歌声は心にしみて、これからくる錦秋の世界へ誘ったてくれる。

ちいさい秋みつけた ボニージャックス
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