常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

漱石忌

2020年12月10日 | 日記
12月も中旬を迎える。雪の来る前にという思いから、戸外に出かけることが多くなった。昨日、珍しいような冬晴れに誘われて、近くの里山を歩く。落ち葉が散り敷く山道であったが、思ったよりも急峻な道で、喘ぎながら頂上へついて下を見ると歩きなれた悠創の丘が見えている。こんなにもすぐそこの非日常の世界といつもの散歩道が共存している。不思議な感覚であった。12月9日が漱石忌であることもすっかり頭の中から抜け落ちている。

硝子戸の中の句会や漱石忌 瀧井孝作

漱石は大正5年12月9日、50歳で生涯を閉じている。句中の硝子戸の中は、生前に新聞に連載した随筆『硝子戸の中』のことだ。この随筆を発表したのは、大正4年の1月のことだから、死の前年である。絶筆となった『道草』を書きなじめる頃である。そこは漱石が、机に向かって物を書いたり、本を読んだりする場所、つまり書斎である。

青空文庫で少し読んでみると、なかなか面白い読み物になっている。最初のエピソードは写真だ。千円札で馴染んだ顔であるから、写真を撮られることなど珍しいことでもないと思っていたが、なかなかそうでもなかったらしい。それはある雑誌の企画で卯年の人の顔写真を並べるので、ぜひ撮らせて欲しいという電話が来た。

漱石は断るつもりで
「あなたの雑誌へ出すために撮る写真は笑わなくはいけないでしょう。」「いえそんなことはありません。」と相手はすぐ答えた。「当たり前の顔でかまいませんなら載せていただいて結構でございますから、どうぞ」

写真は2枚撮った。一枚は机の前に坐っている平生の姿、一枚は寒い庭前の霜の上に立っている普通の態度。カメラマンは撮り終えてから、「御約束ではございますが、少しどうか笑っていただけますまいか」と言った。漱石はその詞には可笑しさを感じたが同時に馬鹿なことを言う男だと思った。それで、「まあこれでいいでしょう。」ととり会わなかった。

数日して雑誌社から写真が送られてきた。見ると、その写真はカメラマンが注文したように漱石が笑っている。どうも手を入れて拵えたような笑い顔に見えた。訪ねて来る人に見せても拵えたのでしょうと言う。

漱石は考える。思えば、過去に自分は人の前で笑いたくもないのに笑ってみせた経験が何度となくある。この写真はその偽りへの復讐ではないのか。漱石はその写真を載せた雑誌を見ず仕舞いであったと書いている。
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