朝からの雨。東北南部と北部に梅雨入りが発表された。始まったばかりの梅雨空、もう青空が恋しい。ピリカンで陽ざしが強いと、暑い、暑いと言っていたのに人間の気分はこうも空の状態に左右されるものなのか。しかし、空の状態に一喜一憂するのは、洋の東西を問わずに人の常である。イギリスのヘンリ・ライクロフトもその随想に書いている。
「私はもちろん天気のことをぶつくさいいながら、ただ人の同情を招くにすぎない弱虫の一人である。今年の7月は曇りがちで風も強く、デヴォンのこの地方でさえ、さっぱり楽しいものではない。私はいらだち、ふるえ、南の方の青空がどうのこうのとつぶやいてばかりいる。全くなんてことだ!私くらいの年輩の人間で普通の体力があれば、陰鬱な空をものともせず、太陽を仰げない埋め合わせを沢山みつけようとして、ホールドンの丘を闊歩しているはずではないのか。私には忍耐心がなくなったのだろうか。」
この人のこんな言葉に出会うと、自分の心がそのまま写しとられているような気になる。ライクロフトがこの文章を書いたのは1900年頃のことだ。それから百数十年、地球に降る雨は、その様相を異にしている。人の心を憂鬱に向かわせる力は、当時よりも強まっている。しかし、人の心の持ちようは、反対に脆弱になっているような気がする。
イギリスの作家ヘンリー・ライクロフトですね。
私の青年の頃からの愛読書です。
「私には忍耐心がなくなったのだろうか」
この言葉は現在の自分の心境を代弁している
かのようです。