平日の三吉山は静かだ。岩海で一人の人とすれ違っただけで、人もいない。高山で鳴く春ゼミの声もない。岩海に出るまでの雑木林は格好の日よけになっている。日を遮ってひんやりとした空気が流れている。岩塊に出ると、日がさして岩の熱気も伝わってくる。岩海の成因は、はるか氷河時代にさかのぼる。大きな岩石に水が入り、それが氷って岩が砕かれ、斜面に堆積したものであるらしい。この岩の部分には草木が根付かず、岩の海のような形状である。広島などに大規模な岩海があるらしいが、ネットの写真を見るのみだ。
心拍数を上げない歩き方を試している。歩き始めて15分、心拍数は120ほどだが歩くことに身体が馴れないためか少し苦しい気がする。フラットの足を地面につけて、両足は二本の線路のように二つの軸で歩く。30分、もう三吉山の頂上だ。心拍数は130以下に抑えられ、心蔵の苦しさは収まっている。月山の残雪が少しだけ見える。ここから歩を葉山へ進める。静かな緑のなかを歩いていると、フランスの思想家ルソーの『告白録』の一節が頭をよぎる。
「徒歩は私の思想を活気づけ、生き生きさせる何ものかを持っている。じっと止まっていると、私はほとんどものが考えられない。私の精神を動かすためには、私の肉体は動いていなければならないのだ。田園の眺め、快い景色の連続、大気、旺盛な食欲、歩いてえられるすぐれた健康、田舎の料亭の自由さ、私の隷属を思い起させる一切のものから遠ざかることが、私の魂を開放し、思想に一そうの大胆さをあたえる。」
私の頭に浮かぶ思想と言えるほどのものはない。歩くことが楽しく感じられるなら、深い安堵のなかに生きられる。歩きながら今日なすべきことを考える。
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