常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

日のうつろい

2023年04月09日 | 日記
昨日、花吹雪のなかを歩いて、桜の花に青い葉が顔を出した。朝方、小雪が舞い、花か雪か、ちょっと勘違いするような光景だ。足元にチューリップ、シバザクラ。多少の雪などものともせずに、花々がうつろいを見せる。

芝ざくら好天あますところなし 石原舟月

風流心という言葉がある。古い時代からある日本人の感性。月や草花を愛で、風に心をおどろかせ、水の流れに思いを託す。兼好法師も、「人とほく、水草清き所にさまよひあるきたるばかり、心なぐさむる事はあらじ。」と書いている。

夕方、山の端に、月が浮かんでいるのを見たのは三日前。朝、人通りのない川の流れに沿っている桜並木ば、7分咲き。次の日は、もう桜吹雪。歩道に、花びらが美しく降り積っていた。そんな景色の上に、今朝、雪がうっすらと積もる。陽がさすと、雪がとけていくなかから頭をもたげてくるのはシバザクラ。

こんな景色のうつろいを、目撃できることのしあわせ。健康な足があってこそ享受できる春の日のうつろいだ。
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桜 木花之佐久夜比売

2023年04月07日 | 日記
桜は満開を迎えたらしい。あいまいな表現は、出かけて桜を見られないためだ。もうコロナが終息を迎えようとしている時期に、うかつにも感染した。熱が37.5ほどに上がったので、念のために発熱外来で、抗原検査を受けた。一週間前のことだ。結果はコロナ陽性。熱も翌日には下がったが、保健所の指示で外出禁止。体調はどんどん戻っていくが、買い物もゴミ出しも禁止。市からの食糧補助で、1週間分の食べ物は確保できた。今日、保健所から明日からの自宅療養の解除が許可された。これほどの軽微な症状でも、人に感染させる恐れがあるという理由で、行動の自由が奪われた。中国のゼロコロナ政策が、どれほどの負担を人々に与えたか、いささかではあるが実感できた。

古事記に、山の神である大山津見神の娘に木花之佐久夜比売(コノハナノサクヤヒメ)がいる。たいそうな美貌の神で、桜の神とされている。だが、妹に木花知流比売(コノハナチルヒメ)、岩長比売(イワナガヒメ)がいることは意外に知られていない。これは、サクラが咲くとすぐに散ることに関連している。花のはかなさを、この二神で表したように思える。咲いて美しく、その年の豊作を予兆するのが、コノハナノサクヤヒメ。花が散り、そのはかなさを示すのがコノハナチルヒメ。古事記の時代から、人々は桜の花にそのような感情移入をしてきた。いろは歌も、その無常観を詠んでいる。色はにほえどちりぬるを我が世たれぞ常ならむ。

ところでもう一人。イワナガヒメは醜女であった。ニニギノミコトが美貌のコノハナノサクヤヒメに惚れ込んで、求婚した。父の大山津見神は、この申し入れを受け入れ、姉のイワナガヒメを加えて結婚させようとした。ニニギノミコトは醜いイワナガヒメを敬遠し、親元に送り返した。大山津見が言うには「私には娘を二人遣わしたのは理由がある。イワナガヒメはニニギノミコトのお命が雪が降っても雨が降っても岩のように長く続くため。コノハナノサクヤヒメはミコトを花のようにはなやかに栄えることを祈ってのこと。イワナガヒメをお返しになったのでは、ミコトの命は、木の花のように、もろくはかなく散るでしょう。」このことから、代々の天皇たちのお命は限りあるものとなった。

田辺聖子の『古事記』を手にとったのは、理由がある。同じ世代の山仲間から一冊の本を借りた。梯久美子の『この父ありて』。ほぼ1920年代に生まれ、戦後のもの不足の時代に小説や詩を書いた女たちの小伝アンソロジーである。島尾ミホ、石垣りん、茨木のり子、田辺聖子、辺見じゅん・・・少しは読みかじったことのある人たちだ。なかに田辺聖子がいて、本棚に『田辺聖子の古事記』があった。体調を崩した娘の本だなから、形見のようにして持参したものだ。「これもらっていく」と本を示すと、「うん、もっと欲しいのあれば持っていって」と快諾してくれた。以後、おりにつけて、古事記のお話を読むのが
日課のようになっている。
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清明

2023年04月04日 | 日記
今年の清明は、桜の花にさそわれてやってきた。「万物発して清浄明潔となる」。これを簡略して清明。春も盛りのころである。中国では、野に出て青草を踏み、先祖の墓参りが習慣となっていた。漢詩、杜牧の「清明」では、霧雨が降り、気晴らしに酒家を訪ねる。その場所を示すのは牧童で、酒家のあたりには杏の花が咲いている。杏花村は世俗の世界とは対極、いわば聖なる世界だ。そこを仲立ちするのは牧童の少年。仙人と留守番の牧童の役割でもある。

借問す酒家は何れの処にかある
牧童遥かに指さす杏花の村

同人誌「櫂」を始めた川崎洋と茨木のりこが、出会う場所は新宿の中村屋でカレーを食べ、紀伊国屋の喫茶でコーヒーを飲みながら、送付されてきたはがきの反響を読み合った。杜牧が目指した酒家と似ている聖なる場所であったかも知れない。昭和28年、戦後の傷が癒え終わらない東京で、新宿の中村屋や紀伊国屋という場所は、当時の若者の憧れの場所でもあったろう。川崎洋にこんな詩がある。「言葉」

演奏を聞いていなくても
人は
♪を耳の奥に甦らせることができる
言葉にしなくても
一つの考えが
人の心にあるように
むしろ
言葉に記すと
世界はとたんに不確かになる

私の「青」
はあなたの「青」なのだろうか?
あなたの「真実」は
私の「真実」?

二人が始めた「櫂」には、谷川俊太郎、吉野弘、大岡信、岸田衿子、中江俊夫らが参加する。この時、茨木のり子26歳、川崎洋22歳。戦後の新しい詩の世界がひらけていく。

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春爛漫

2023年04月02日 | 登山
春の陽ざしをいっぱいにうけて、オオイヌノフグリが草地を被いつくすように咲いていた。この花は早春の花だが、今日のような好天のもとでも映える。夜空の星を思わせるような咲き方で、「星の瞳」という名で呼ばれることもある。実は、この花は明治のころに日本へやってきた帰化植物だ。タンポポも帰化した西洋タンポポが優勢で、日本タンポポは影が薄い。同じように、在来のイヌフグリが帰化した近縁種におされて次第に見かけなくなっている。

いぬふぐり星のまたたく如くなり 高浜虚子

春の好天にさそわれて、野山へ散策。目指すは、ヤマニンジンとハナワサビ。両方とも、夕飯の食卓に間に合うほどに収穫した。ハナワサビは花茎が出たばかりで、手に触れてその柔かさが実感できる。わが家では、三杯酢を熱くして、洗ったワサビにかけ、密閉容器に入れる。鼻にくる辛味、春の欠かすことのできない味覚だ。山に咲くオオヤマザクラ開花していた。例年であれば、5月の連休のころに咲くが、今年はソメイヨシノと先を競うように咲きだした。

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