スマホの避難指示が何度も鳴る。自分の住んでいるところが危険なわけではないが、近くの山間部で土砂崩れや洪水の危険があるらしく地区の公民館などが避難場所になっている。自身警報ではないがスマホの着信音はびっくりするほど大きい。3時間ほどで指示は解除になったがその通知も同じ警報音だ。高齢者は夜になると避難できないので明るいうちに避難せよ、ということらしい。
一夜明けて外を見ると昨日の雨がまだ降り続いている。雨足は弱く、咲きそろったシオンの花を濡らしている。北の山から紅葉の便り。しばらく休んでいた山登りを再開する。しばらく山の斜面から遠ざかっていた足はどんn反応を見せてくれるか。面白山、蔵王山。紅葉にはやや早いか。来月の尾瀬は紅葉を見ることことが目的。あと何回、高山の紅葉や花を愛でることができるだろうか。
電報が廃止になるらしい。スマホを持っていればどんなに離れていても直接話せる時代だから当然のことと思える。こんな笑い話がある。友だちに、留守番を依頼するために電報を打った。「ヒルルスバンニコイ」。受けとった人は、「ヒルルス、バンニコイ」と読んで、夜になってからその家に行ったという。電報を使ったのはもう60年も前のことだ。電話もなく、訪ねていくときに電報を打った記憶がある。今では、詩吟の吟詠大会に電報が来る。なぜか、市会議員や県かい議員の先生が「大会のご盛会をお祝いします」という型どおりの文面だが、人が集まる場所へ電報を打って名前を売る、選挙運動の古典的な形だ。もう、こんな場面も過去のものになる。