ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

[粟田神社」の氏子町、堀池町に復活した江戸時代の「菊鉾」のさし上げ。

2017-10-02 | 祭事・神事・風習

10月は、京都各所の神社で、祭りが行われるシーズン。ミモロが、京都暮らしを始めて以来、ずっとお世話になっているのが、東山の「粟田神社」の氏子町の皆さんです。

「もうすぐ粟田神社のお祭りだね~」そう、10月7日の出御祭から9日の神幸祭と還幸祭。そして15日の例大祭にかけて行われるお祭りです。

さて、その祭りに先立ち、氏子町のひとつ、堀池町で江戸時代に作られた剣鉾「菊鉾」の差し上げ復活の神事が行われました。
 

長らく途絶えていた剣鉾の差し上げ。それができなかったのは、剣鉾を差し上げる棹が古く劣化していたから…。そこで今年、その棹が修復され、その完成を待って、差し上げ式が行われたのです。

まずは、棹の除幕式。
そして、「粟田神社」の佐々貴宮司さんにより、菊鉾の復活と祭りの無事を祈願する神事が行われました。
 

神輿を先駆け、町を清める剣鉾は、「祇園祭」の山鉾のルーツと言われるもの。かつて京都では、神輿巡行の前に、剣鉾の巡行が行われるのが常だったそう。時代の流れで、剣鉾を差し上げる人が少なくなり、やがてすたれていきました。近年、剣鉾の復活が進み、さまざまな祭りで、いままで倉庫に眠っていた剣鉾が再び祭りに登場する機会が増えています。

「剣鉾」の差し上げは、なかなか難しく、30キロを超す剣鉾を直立させ、上部についた鈴(リン)を響かさせるには、修練が必須。剣鉾をもつ神社の剣鉾奉賛会や保存会が、若手の育成や技の修練に日々励んでいます。

「剣鉾」の差し上げは、3人1組で、代わる代わる差し上げます。つまり差し手の個人技なのです。
「上手な差し手だと、鈴の音がすごく響いてキレイなんだよ~」と、剣鉾ファンのミモロ。

さて、今回さし上げが復活する「菊鉾」は、江戸時代寛政年間にできたもので、堀池町には、江戸時代後期に委ねられました。
「粟田神社」の氏子町には、現在18本の剣鉾があり、これは京都でも多い方・・・。京都には全部で約250本の剣鉾があるのだとか。でもその多くは、差し上げられず祭りの時に会所に飾られたり、倉庫で保管されたままのものがほとんどなのです。

「剣鉾」は、差し手が、歩きながら鈴を鳴らすために「剣鉾」を上下させます。鈴を鳴らすのは、棹に鈴をぶつけるため、その衝撃などから、1度祭りに出ると、結構傷むのだそう。


その修復された棹は、なんと全部が細かい螺細工が施されたもの。
 
5メーターほどある棹のすべてを覆う螺鈿細工の見事さ。さすが京都・・・と思わせるもの。

この螺鈿の修復は、この剣鉾がある堀池町に住む螺鈿の職人さん兼松さんが中心にお姉さまと共になさったもの。

かつて、京都では、それぞれの町にいろいろな職人さんが暮らし、その方々がご自分の技術で、祭りを支えていたのです。
でも、近年職人さんは少なくなり、修復なども思うようにできないのが現実です。

「本当に、兼松さんがこの町にいられてよかったです。長年の思いだった棹の修復ができました」と堀池町の町会長の前田さんも満面の笑み。


神事を納め、いよいよさし上げが始まります。
「粟田神社剣鉾奉賛会」の皆さんが揃いの装束で菊鉾を差し上げます。

「わ~上がった~」


修復した棹で、久しぶりに氏子町に「菊鉾」の鈴が響き渡ります。
  
長年の念願だった「菊鉾」の差し上げ。前田さんと兼松さんは、じっと剣鉾を見つめます。
お二人の耳には、きっとさぞや感動的に鈴の音が響いていることでしょう。

今回の「菊鉾」さし上げ復活は、堀池町の皆さんの祈願でもありました。


「ミモロちゃん、今年の粟田神社のお祭りもいっしょに頑張りましょうね~」と剣鉾奉賛会の皆さん。
「はい、今年は剣鉾の装束もあるから、みんなといっしょに巡行するんだ~。よろしくお願いします」とミモロ。

「粟田神社」の剣鉾は、9日の神幸祭で12時から神輿に先立ち氏子町を巡行します。

今年は、ミモロは、やっと完成した剣鉾の装束で、神幸祭に参加予定。ぜひ見に来てください。
 

人気ブログランキング
ブログを見たら、金魚をクリックしてね ミモロより

ミモロの通販ショップ「ミモロショップ」はこちら


ミモロへのお問い合わせ・ご要望は、mimoro@piano.ocn.ne.jpまで
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする