ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

ミモロの和歌山旅。紀州徳川家の居城「和歌山城」。石垣が物語る城の歴史

2024-11-20 | 奈良、近畿
「ここは、外せないよね~」と和歌山の旅で、ミモロが楽しみにしていたのが「和歌山城」です。


海のリゾートを満喫したミモロは、「和歌山マリーナシティ」からバスで、市の中心部にやってきました。
バス停から、トコトコ歩き、城内へ。

和歌山のシンボルである城は、まさに市の中心部、虎伏山にある外周2キロの大きなお城です。

「なんかすごく大きいね~1日では、よくわからないかも…」
天守閣のあるエリアのほかに…「動物園もあるんだって~」と、そちらにも興味を抱くミモロです。
春の桜やツツジ、秋の紅葉など、自然豊かな敷地内は、和歌山市民の憩いの場所になっているそう。

ミモロたちは、朱塗りの「追廻門」を入ることに…

「立派な石垣が続いてるね~」とキョロキョロ。


なんでも「和歌山城」の見どころのひとつにさまざまな石垣があるのです。

そもそも紀ノ川下流一帯に中世形成された人々が暮らす共同体…それが雑賀衆と呼ばれる人たち。普段は、各地域との海運による交易や、肥沃な土地を利用した農業、海の恵みを受けた漁業などに携わっていますが、水軍も擁し、また鉄砲も使いこなす軍事集団でもありました。この地域で大きな勢力を誇る雑賀衆は、織田信長に対抗する勢力で、何度か交戦を行います。信長の死後、今度は、豊臣秀吉との戦いが…。根來衆と組んが紀州は、大坂城に迫る勢いだったことも…。しかし、天正13年(1585)に、家康と和解した秀吉によって攻められ、ついに終焉を迎えます。

紀州を平定した秀吉は、紀ノ川の河口にある虎伏山に、この地域を治めるための築城を、弟の秀長に命じます。これが「和歌山城」の始まりです。

「2026年のNHK大河ドラマって『豊臣兄弟!』で、秀長が主人公だから、ここも登場するんじゃないの?きっと注目されるね~」と、和歌山の盛り上がりを今から予想するミモロです。


さて、話を石垣に戻しましょう。
秀長に命じられて築城を担当したのは、藤堂高虎。後に築城の名人と言われる高虎の作品のひとつが、この「和歌山城」です。

秀長の後、桑山家が城主となり、関ヶ原の戦いの後は、浅野家が入城し、元和5年(1619)に徳川家康の10男頼宜(よりのぶ)が城主となって、ここに55万石の紀州徳川家が生まれます。
お城は、城主の歴史と共に、増築され、紀州徳川家の居城となった時代に、ほぼ現在の姿が整えられたのです。
かつて国宝に指定された天主閣は、昭和20年の空襲で焼失。現在は昭和33年に鉄筋コンクリート造で再建された3代目の天守閣。

そのため、歴史を今に残しているのは、歴代城主による石垣なのだそう。

「確かにいろんな組み方の石垣がある~」

石垣好きには、たまらない組み方のものがいろいろあるのでしょうが…

ミモロは、ただキョロキョロ、見て回るばかりでした。


天主閣が近くなった場所に…「なにかお手伝いしましょうか?」と声を掛けられました。振り向くと…そこには忍者

城内には、随所に忍者が潜んでいます。「あ!忍者さん…」と戸惑うミモロ。
「おもてなし忍者」という城内の観光のお手伝いをする方々。記念撮影のお手伝いや、重い荷物の方やご高齢の方の手助けをしてくれる親切な忍者さんなのです。

「あの~記念撮影してください~」とお願いしました。

さぁ、天主閣の中に進みましょう。

*「和歌山城」の詳しい情報はホームページから


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