ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

稲穂が稔る大原の里。悲劇のヒロイン、建礼門院徳子が、晩年を過ごした尼寺「寂光院」へ

2013-08-29 | 寺社仏閣

少し暑さも和らいだ日、ミモロは、久しぶりに京都の北に位置する大原を訪ねます。
鄙びた趣がある大原の里は、今、一面黄金色。

頭を垂れた稲穂は、里に、まるで黄金色の絨毯を敷いたよう。
「町中から、車で30分くらいで、こんな山里の景色が見られるなんて…。もう秋も近づいているんだよね」と。
そういえば、夜になると、どこからか虫の声も聞こえるようになりました。まだ暑いと言っても、確実に秋は忍び寄っているようです。

大原といえば、三千院と寂光院が、この地域を代表する観光スポットですが、実は、この2つの距離は結構離れていて、ハイキング気分で歩くことをおすすめします。大型観光バスが多い三千院に比べ、寂光院は、道が狭いため、バスが止まれる駐車場からも15分ほど歩くことに。
「この道は、普通の車でも、それ違えないねー」


この日は、観光客が少なかったようで、ミモロは、寂光院に一番近い駐車場へ。そこは、門のすぐ近くのお蕎麦屋さんの敷地。300円の駐車料金で利用できます。

寂光院は、平清盛の娘、徳子が、出家した後、壇ノ浦で滅亡した平家一門と息子の安徳帝、そして夫の高倉帝の菩提を弔う日々を過ごした場所。

お寺の入口から門まで長い石段が続きます。「でも、この石段、知恩院の石段に比べたら、全然なだらかで、歩きやすい」と。それは、ここが尼寺だからなのでしょう。

石段の周囲は、楓の木が緑の葉を伸ばしています。「きっと秋の紅葉は、キレイだろうねー」と、楓を見上げて、秋を想像するミモロです。


山門に到着。中には、まだ新しい感じの本堂の姿が…。

さて、ここで、寂光院のお話を少し…。
天台宗の総本山、延暦寺のある比叡山の麓に位置する大原のお寺は、三千院、勝林院、そして寂光院も皆、天台宗のお寺です。その中で、寂光院は、尼寺で、その起源は古く、推古2年(594)に、聖徳太子が、父である用明天皇の菩提を弔うために建立され、その頃の御本尊は、聖徳太子作の六万体地蔵尊であったと伝えられます。
「えー聖徳太子が、奈良から、ここまではるばる来たのー?」うーむずかしい質問。聖徳太子自体が、その存在が不確かになっている今、なんとも言えません。・・・・と伝えられているんです。
また、初代のご住職は、聖徳太子の御乳人で、以来、代々高貴な姫君が住職を務められていると、これも伝えられています。でも、ともかく、ずっと尼寺なのです。

それから、時代を経て、文治元年(1185)に、京都の長楽寺で出家した29歳の建礼門院徳子が、36歳の生涯を閉じるまで、静かな時を過ごされたのが、このお寺です。

建礼門院徳子と言えば、日本史の中でも、悲劇のヒロインのおひとり。平清盛の娘として生まれ、高倉天皇の中宮となられ、安徳天皇を生まれます。夫、高倉天皇と父、清盛の死により、急激に力を失う平家一門。ついに源氏に壇ノ浦で敗れ、まだ8歳の安徳天皇と共に海に身を投げた徳子。しかし、源氏方に海から救われ、命を繋ぐことに…。再び京の都に連れ戻され、出家し、この大原へと移り住みます。
「旦那さんも亡くなって、都を追われるように、西に移り、その間に、息子まで亡くして、自分だけ生き残るって、辛いようねー。あの時代って、大河ドラマ「平清盛」で見たけど、人間関係がドロドロと複雑でよくわかんなかったー」とミモロ。

「平家物語」の中でも、寂光院に暮らす建礼門院徳子の暮らしぶりは、かつての宮中の華やかな暮らしと違い、淋しく、哀れなもので、訪れた人たちは、みな涙を流したという語りも。


ミモロは、本堂に上がります。「そういうお話聞くと、建礼門院徳子さんがあまりに可哀想・・・」と、しんみり。


「堂内のご案内をしますから、中に入って下さい」と。お寺の方。

新しさが漂う本堂へと入ります。(本堂内は、撮影禁止です)

「ご存じとは思いますが、この本堂は、今から8年前に再建されたもの。かつてここには、桃山時代に建立された本堂と、鎌倉時代に作られた御本尊の地蔵菩薩立像、建礼門院像と彼女に仕えた侍女 阿波内侍像がありました。ところが平成12年に放火により、ことごとく焼失。地蔵菩薩も黒焦げに。でも、胎内に納められていた経文や多数の小さな地蔵尊などは無事で、現在、宝物館に一部が展示されています。お帰りにぜひご覧ください…」との説明を。

地蔵菩薩立像も再建され、その手には五色の紐が結ばれ、それに触ると、地蔵尊のご利益があるとか。
「縁結びだってー」とミモロも真剣にギューっと紐を握りしめながら参拝を。

さぁ、お庭や建礼門院徳子さまの御墓にお詣りに行きましょう。
「はーい、待ってー」ミモロは、急いで歩きはじめました。 

*「寂光院」の詳しい情報はホームページからどうぞ・・・
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コメント (3)    この記事についてブログを書く
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3 コメント

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Unknown (竹口のおばちゃん)
2013-08-29 17:23:13
左京区と言えど、田園風景の広がる、のどかな所ね。    何百年も同じ空気が流れているような。   建礼門院徳子さんに思いをはせると同じ女性として切なくなるけど、現代もこうして沢山の人に慕われているから、あの世では平安な気持ちでおられるのでは?

シーズンをずらして行くと、浸れて良さそうね!
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静かな里 (がちゃぴー)
2013-08-29 18:05:17
大原までいくと、静かな里山なんだね。秋が確実に訪れているのが分かるね。
一度 大原に行きました。寂光院にも行きたかったのだけど、三千院だけしか行けなかった。2つのお寺って 距離が離れてるんだよね。
今度 ゆっくり行ってみたいです。
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今は静かでーす (mimoro)
2013-08-29 19:43:35
紅葉のシーズンになると、結構多くの方が来るみたい…
でも、今は、静かだよー。
そう、三千院と寂光院は、かなり離れてます。
歩くとかなりありますが、里の景色を眺めながら
のんびり歩くといいかもー。
途中でお弁当食べたりしてー
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