「ここどこ?」とミモロがキョロキョロするのは、山奥にある寺院前。
ここは、京都の北区、雲ケ畑という集落のそのまた奥に位置する「志明院」です。
鞍馬の二ノ瀬の「白龍園」で紅葉を楽しんだミモロは、「もっと紅葉狩りしようよ~」ということで、ちょっと寄り道することに…。しかし、車で入った山道を、どこに向かうのかわからぬまま進んでいると「雲ケ畑」という地名が。「きっとここから京北に抜けられるかも…」とそのまま進むと、
今は営業していない料理旅館のそばを抜け、その山道は、行き止まりに…。Uターンもできない道幅なので、最後まで進みます。
その道が至ったのは、山間の広い場所。
その先に古い山門があります。
そのそばにあるお寺の解説によると、ここは岩屋山不動教の真言宗系単立寺院で、正式には「岩屋山 金光峯寺志明院」と。白雉元年(650)に役行者が開山。天長6年(829)空海が、淳和天皇の命で創建した皇室の勅願所として崇敬された由緒ある古刹です。
「志明院っていうんだ~」と全く知識なく訪れたミモロです。「でも、なんか雰囲気違うね~」と何かを感じているよう。
山門の前をウロウロしていると、「拝観ですか?」とご高齢の素敵なご婦人に声を掛けられました。
「はい、あの~モグモグ…」とミモロ。ともかく拝観料として400円を納め、さらに先に進みます。
そこで偶然お目にかかったのは、ここの現在のご住職。「今、作業中でこんなかっこで失礼します~」と。
「よくいらっしゃいましたね~前にもいらしたことありますか?」と尋ねられたミモロ。「あの~よくわからなくて、車で山道進んでたら、ここに来ちゃったんです。なんか導かれたみたいです~」と正直に答えます。
「そうですね~きっと…ご縁があるのでしょう~」と優しく話しかけてくださいました。
本堂には、空海の開眼による不動明王がご本尊としてお祀りされているそう。
何度も、兵火や火災に見舞われ、伽藍の建造物は焼失。現在残る建物は、明治以降のもの。
現在のご住職は、荒廃した寺院の再建のために、仁和寺からいらしたおじい様から3代目に。
立派な扁額がかかる山門。
「ここにこんな立派なお寺があったなんて知らなかった~」とただただ驚くミモロです。
山門から、奥の山へと続く石段。
ミモロは、心を鎮めながら、一段一段上ります。
深い山は、ゴツゴツとして奇岩があちこちに…。歌舞伎「鳴神」の鳴神上人が龍神を閉じ込めた護摩洞窟など、修験道ゆかりの場所が点在しているのです。
実は、山門より奥の場所は、撮影禁止ですが、今回、特別ご住職に御許可を頂き、みなさんにお伝えできることに…。
奇岩には、修行をする建物などが歩ける山道の傍らに…
「本当に、なんか空気が違う…」と感じつつ奥へ。
さらに奥の院には、菅原道真手彫りの眼力不動明王などがお祀りされ、一番奥の洞窟には、岩からの水が一滴一滴こぼれ、なんとそれが鴨川の源流になるのだそう。
そこは、あまりに恐れ多く撮影を控えました。
「ここは、淳和天皇から京都の民の命の水の場所であるから、大切に祀るようにと弘法大師に命じられたんですよ」とご住職。まさに鴨川という大河の一滴が、ここから始まっているのです。
「その洞窟の前で耳を澄ませると、岩から落ちる水の音が聞こえますよ」と、ここに何度も訪れていらっしゃる方から教えて頂きました。
「こんな山奥に何度もお詣りに来るってすごい!」と当初思ったミモロですが、後日、他の方にも同じようにここに何度も参拝されている方がいらっしゃり、この場所が人を惹きつける不思議なパワーにあふれた場所であることを知りました。
「あなたには、なんか不思議なパワーがありますね~生きているみたい~」とご住職に言われたミモロ。
ここは、科学では説明できないパワーがあるよう…「ここで坐禅したい~」と岩の洞窟の前で言い出したミモロ。そう、しばし座っていたくなる場所でもあるのです。
さぁ、そろそろお山を下りましょう。
山門のそばには、大きな水がめがあり、そこの水は、本当にまろやかで美味しいのです。
「また、ぜひ別の季節にもいらしてくださいね~」とご住職。
ここは、春、石楠花で有名なのです。
ご住職にご挨拶した後、再び、ミモロは、狭い山道を車で進みます。
「でも、この狭い道、バス通ってるんだ~」そう雲ケ畑バスが、北大路通駅から1日2往復運行。「雲ケ畑岩屋橋」バス停から徒歩20分です。
「また、春になったら来ようね~」とミモロ。冬は、スノータイヤをもっていないので、ここまで到達できませんから…。
*「志明院」京都市北区雲ケ畑出谷町261
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