ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

囲碁の「本因坊」は、京都寺町から始まった。明治45年創業のそば「更科」で食べるたぬきそば。

2022-12-27 | グルメ

「こんなところに碁盤がある…なんだろ?」とミモロが、丸太町通から寺町通を南に進んでいるときに…


通りに石の碁盤が置かれています。「ここで囲碁するのかなぁ~」と碁盤の前に座ります。
囲碁は、全くわからないミモロ。できるのは、五目並べのみです。

「え?ここ本因坊発祥の地って書いてあるよ」とそばの看板を見上げて…「本因坊って聞いたことある~」


それによると、天正17年(1589)の頃、京都の町の都市計画を実施した豊臣秀吉により、洛中のいろいろな寺院がこのエリアに集められ、その通りが寺町通です。今も、たくさんの寺院がこの通り沿いにあります。
そのひとつに「寂光寺」別名「久遠寺」という顕本法華宗のお寺がありました。そのお寺の塔頭が、「本因坊」です。
「え~本因坊って、塔頭の名前だったの…」とミモロ。

その塔頭にいらしたのが、日海というお坊さんで、後に「本因坊算砂」と名乗る方。この僧は、囲碁に優れ、織田信長や豊臣秀吉から名人と称され、江戸時代には、徳川家康の命により、幕府の碁所を任されることに。江戸時代、囲碁の家元のひとつとなった本因坊家。その名は世襲で受け継いで行きます。家元の世襲は、なんと昭和まで続き、昭和11年、二十一世の秀哉は、「本因坊の名は、真に実力があるものが名乗るべき」と、その名跡を日本棋院に譲渡。現在の棋士の実力を競う本因坊戦が始まります。

「それに勝利すると、本因坊って名乗れるの?」とミモロ。

なんでも、本因坊戦に勝利すると、勝っているときは、名乗れるそう。また名乗るか名乗らないかは棋士によるとか。ただし負けるとその称号を返還しなくてはなりません。でも、本因坊戦を五連覇以上した場合、永世称号として「○○世本因坊○○」と名乗れるのだとか。

囲碁の世界に詳しくないのですが、「なんとなく本因坊という名称の由来がわかった」というミモロです。

ミモロが座る碁盤は、平成21年(2009)にここに設置。その際、今村九段と滝口九段が打ち初め式を行ったと。
「え~ここで長く座って囲碁打つのお尻痛くなりそう…」というミモロ。碁石を持ち込めば、誰でもここで碁を打てるそう。
「碁石だけじゃなくて、絶対座布団も持参した方がいいと思うよ」と、石の冷たさがお尻に伝わったようです。


尚、宝永の大火後、「寂光寺」は、鴨川の東、仁王門通に移転。「あの立派なお寺がそうだったんだ~」と思い出すミモロでした。

お尻が冷たくなったミモロは、「温かいものが食べたい…」と言い出しました。
そこで、立ち寄ったのは、そこからすぐそばにある明治45年創業の「更科」という蕎麦とうどんのお店です。


落ち着いた佇まいのお店です。


「何にしようかな…」とお品書きを真剣に見つめるミモロ。

「う~迷っちゃう…体が温まるのは、あんかけかな?」と。

それで選んだのは「甘たぬきそば」(860円)です。

関東でたぬきうどんや蕎麦は、天かすがトッピングされたものですが、京都では、あんかけのキツネうどんや蕎麦という感じ。

すった生姜がたっぷりのり、体が芯から温まるよう…。
「甘く煮たオアゲさんも美味しいね~」と、ネコ舌のミモロは、フーフーと息をかけては、ゆっくり味わいます。
食べ終わるころには、うっすら額に汗も滲みます。「美味しかった~ごちそうさま~」体もポカポカになったミモロ。
再び冷たい空気の中を歩きだしました。

*「更科」京都市中京区寺町通竹屋町上ル藤木町18-8 ☎075-231-1661 営業時間11:30~16:40

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