ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

京都府丹波で巡る明智光秀の足跡。首塚のある「谷性寺」、開園が待ち望まれる「亀岡ききょうの里」

2020-06-05 | 歴史・史跡

明智光秀が城を築き、治めた丹波エリア。そこには、光秀の晩年の足跡が多く見られます。
亀岡市商工観光課の方に、それらの歴史的な場所を教えていただいているミモロ。この日、最後に向かったのは、亀岡の町から車で西に進み、「湯の花温泉」にほど近いところにある「谷性寺(こくしょうじ)」です。


「あれ?ミモロちゃん、お着換えしたの?」「うん、刀重いから、歩きやすいワンピースにしたの~」と、移動の車の中で着替えたミモロです。

石段を進みお寺の山門に至ります。ここは、平安時代の創建と伝えられ、ご本尊に不動明王をお祀りする古刹。不動明王を崇敬する光秀は、本能寺に向かう前に、「光秀寺」と呼ばれる


山門には、光秀の桔梗の紋が刻まれています。


境内の一角には、「光秀の首塚」があり、毎年、命日である6月14日には回向が行われ、また、5月3日に開催される亀岡市最大規模の春まつり「亀岡光秀まつり」でも、ここ首塚の前で追善供養が行われ、そののち、武者行列が城下町へと進むそう。(今年はすべて中止)


「あれ?確か光秀の首塚って、京都白川三条のところにもあるよ~」とミモロ。
そう、確かに…天正10年「本能寺の変」で主君、織田信長を撃った光秀は、その後、秀吉に山崎の戦いで敗れ、近江坂本へ退却する途中、竹藪で農民の槍で負傷し、自害したと…。、家来は光秀の首を携え追ってから逃れるものの、京都の東、知恩院付近で夜が明けたため、首を埋めたのだそう。
そして、京の町への入り口のひとつ「粟田口」で、光秀の首と胴、そして重臣の斎藤利三も捕らえられ、磔にされたとか。その近くにあるのが、「白川三条」にある首塚です。でも、そこも移つされたものとも…。

「え~どうなってるの?」とミモロ…。ともかく昔の話であり、その後、光秀を慕う人たちの思いが、彼を弔うものになっているとしか…。

秀吉が、光秀に対して厳しい処置をしたのは、主君と撃つという「下剋上」を広く戒めることで、今後、そのようなことが起こらないように警戒した姿が見えてきます。

首塚に参拝したミモロは、さらに境内の奥へ進みます。


そこにもう一つの境内での見どころの「明智門」があります。昭和51年、かつて亀山城下にあった廃寺となる西願寺の門を移築したもの。
 
門の内側には、桔梗紋が刻まれています。

「あれ?不思議な模様の石灯籠があるよ~」と立ち止まったのは、茶道具を刻んだ石灯籠。

これに関しては、特別な説明がなく、由縁などはわかりませんでした。

光秀ゆかりの「谷性寺」の境内にも、たくさん桔梗の花がありますが、そばには、「亀岡ききょうの里」があり、苑内には、約1万5000本の桔梗が、6月の末から7月にかけて、楚々とした姿を見せてくれるそう。
 
今は、お手入れの真っ最中。ただ、今年、開園されるかどうか、まだ未定だそう。「見たいね~」と思うミモロです。

*「谷性寺」京都府亀岡市宮前町猪倉土山39  0771-26-2054  亀岡の観光に関する詳しい情報は「亀岡市観光協会」のホームページで

「谷性寺」を参拝したミモロは、お寺のとなりの道へ。その奥に神社が見えます。


「なんの神社?」と行ってみることに。それは「篠葉神社」という延喜年間に創建されたという、この地域に崇敬される歴史ある神社です。
 

神社の説明によると、「天正年間に焼失…」とあり、その後、氏子により江戸時代になってから再建されたもの。
「わ~焼失したんだ~雷?」とミモロが思っていると、同行してくださった亀岡市の方が…「天正年間に焼失と書かれたものがある場所は、明智光秀の丹波平定の時に、攻め滅ぼされたところなんですよ~」と。

「え~そうなんだ~」と驚くミモロ。織田信長の命により、丹波、福知山という西国への交通の要所を平定した光秀。そのために、実は、この地域の領主の城をはじめ、関係する神社仏閣を攻撃しているのでした。
「平定って、そんな簡単なもんじゃないよね~。平和的解決なんてむずかしいんだ~」とミモロ。

平定した領地を、民のために治水工事などを整備し、以前より暮らしやすい国造りをした光秀です。
「すごく頑張ったのに・・・」と、光秀の最後を思うと、「なんで?」という疑問が改めて生じます。

今回、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」で、戦国時代を生きた武将の苦悩などが、より理解できるようになるかも…。

亀岡および福知山エリアには、光秀の足跡を物語る史跡が数多くあり、ぜひ、訪れて欲しいもの。
「きっと、もうすぐ他府県移動ができるようになったら、全国から観光客来るよね~」とみんなが期待しています。

「さぁ、おうちに帰ろう~」とミモロは、JR亀岡駅から、山陰本線にのって、京都駅へ。快速で20分の距離。

「すごく京都から近いのに・・・」と、多くの人が、遠いというイメージを抱いているこの地域。それがとても残念…。

今回は、亀岡市商工観光課の方々にお世話になりました。どうもありがとうございました。byミモロ


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明智光秀が築城した「丹波亀山城」。今年は、かつて天守閣だった場所の「天守台」の拝観が可能に

2020-06-04 | 歴史・史跡

京都から、JR山陰本線の快速で20分の「亀岡駅」。亀岡の町は、「亀山城」を中心に築かれた町です。

駅から、徒歩15分ほど、お濠沿いを歩き、「亀山城址」への入り口に至ります。

天正3年(1575)から織田信長の命を受けた明智光秀が、丹波攻略をスタート。その拠点として天正5年に築城。町の整備を進めます。
本能寺の変の後は、豊臣家、関ヶ原の戦いの後は、徳川家が、この城を治めます。
明治2年、それまでの亀山は、亀岡に改称され、以降、町の名は、亀岡となります。
「だから、亀岡市にあるのに、お城、亀山城なんだ~」とミモロ。

明治6年に、亀山城は廃城となり、それから城の敷地、建物などは、複数の所有者に売却されてしまいます。
次第に荒廃してゆく城を、大正8年、宗教法人「大本」が購入し、以降、整備・管理を行います。
戦時中、一時、政府に没収されるものの、戦後、再び、その所有権は、戻され現在に至ります。

現在、宗教法人「大本」の本拠地であり、聖地となっています。
城の敷地内は、一部を除き、一般に開放され、ミモロも以前、散策したことがあります。

この日、亀岡市観光課の方々に、光秀ゆかりの場所を案内していただき、ここも訪れることに。
「ミモロちゃん、今は、ここね~」と、広い敷地を示す地図を前に、説明してくださったのは、亀岡市の光秀大河推進課の松本課長。

NHK大河ドラマの放送と共に、多くの方に光秀ゆかりの亀岡の観光推進のために尽力なさっています。

さて、大河ドラマの放送に合わせ、ここ「亀山城址」は、通常非公開の現在、宗教法人「大本」の神域とされる城の中心「天守台」のあるそばへ、入れることになりました。


「ぜひ、この機会にお城の様子をよくご覧ください」と、「大本」の広報渉外をご担当なさっている鬼塚さん。

「以前にも伺って、植物園や桜の木拝見しました。どこもすごくきれいでした~」とミモロはご挨拶しました。

「天守台」の拝観には、300円の拝観料を「総合受付」にて納めます。
「え~天守台のそばに行けるの?」と、以前は、入ることができなかった場所に、感激するミモロです。

さっそく、そこへと向かいます。


「大本」の信者の方々が、長年、管理、整備してきた敷地内は、ゴミひとつ落ちていません。
「本当にキレイ…」と感激するミモロ。かつて荒廃した石垣なども、修復を繰り返したそう。

新緑の苑内には、静かな時が流れます。

「あ、石に印が付いてる~」

かつて大名たちが、城の普請に運んだ石が、城の歴史を物語ります。

「ミモロちゃん、ここからが、通常非公開の場所ですよ~」と言われ、気を引き締めて石段を上ります。
 

苔むした石垣…明智光秀が築城し、以来、さまざまな城主を迎えた城です。


天正3年、光秀が、主君、信長の命を受け、その拠点として天正5年に築いた亀山城。築城後、10を超すその地域の領主の城を次々に攻め滅ぼし、丹波平定をし、信長から所領として与えられたのが、天正8年。まさに戦いに明け暮れた5年間だったのでは?
その間に、愛する正室の熙子が病死。
そして、天正10年、本能寺の変が起こります。一体、その2年間に、光秀に何があったのでしょう?

「奥さんも死んじゃうし、きっと戦い続きで、嫌になっちゃたんじゃないの…なんのために生きてるのかって、悩んだり・・」と勝手に想像するミモロです。
戦国武将の光秀の人生は、まさにストレスの連続。壮絶な人生といえましょう。

「天守台」は、かつて天守閣があった場所だそう。そこは「大本」の神域なので、撮影はできませんが、土台部分に石が丸いドームのように積み上げられています。
そのそばに聳える大きなイチョウは、光秀手植えのイチョウと…。

「そうなんだ~」と感慨深げに幹に寄り掛かるミモロ。

「でも、このイチョウは2代目ですよ~」と、観光課の栗林さん。なんでも、江戸時代に台風で倒木し、若木が植えられたのだそう。

敷地内には、一昨年の台風で倒木した大樹の切り株がいくつも見られました。


でも、本当によく整備された敷地内・・・さまざまな植物が茂り、楓の緑のトンネルが続きます。「秋は、きれいだろうね~」とミモロ。
 

亀山城址を進むミモロ…「兵どもが夢のあと…」と、ふと口から…。

光秀が、その人生のフィナーレを過ごしたお城です。

*「亀山城址」の詳しい情報は「亀岡市観光協会」のホームページで

*ここは、宗教法人「大本」の聖地と言われる場所なので、苑内の散策は、静かに…


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京都亀岡の「麒麟がくる 京都大河ドラマ館」に併設の「光秀大河物産館」。地元の物産もいろいろ豊富に

2020-06-03 | 京都

京都駅からJR山陰本線の快速で20分の亀岡駅。その駅前には、今年1月にオープンした「サンガスタジアムbyKYOCERA」があります。そのスタジアムをぐるりとまわると、東側にNHKの大河ドラマをテーマにした「麒麟がくる 京都大河ドラマ館」の入り口があります。
ミモロは、そこを見学した後、併設された「光秀大河物産館」を訪れました。

ここは、誰でも入れる場所。光秀をテーマにしたグッズやお土産などのほかに、亀岡の地元の物産が種類豊富に揃っているのです。
 

「あ、これ光秀の家紋なんかが入ったお菓子?」大河ドラマ館のお土産品です。
 

桔梗や兜をテーマにしたグッズもいろいろ。
 

「麒麟がくる」の主人公、明智光秀は、京都だけでなく、岐阜県内にもあります。お土産には、各館共通のものも。

「でも、せっかくだから、ここだけのものが欲しいよね~」とミモロ。「丹波の黒豆だって~」
 

「これもMADE IN 亀岡だって~」
 

豊かな食材の亀岡・・・工芸品も様々…藍染めの品も、亀岡製です。
 

「あ、カメ丸くん・・・久しぶり~」ミモロのお友達の亀岡のキャラクターのカメ丸もマスク姿。カメ丸グッズの光秀バージョンの品もお土産に人気。
 

「あれ~模擬刀もある~戦国武将だもんね~」ショップには、甲冑も飾られていました。
 

「麒麟がくる 京都大河ドラマ館」に行ったら、この物産館は外せません。
思わずいろいろ欲しくなるものが・・・・。

*「麒麟がくる 京都大河ドラマ館」の詳しい情報はホームページで

さて、ここでお願い…ミモロのお友達の丹波明智光秀研究家の栗林さんから、光秀に関するイメージなどのアンケートです。
みんなの明智光秀アンケート」、ぜひ皆様のイメージを教えてください。よければ参加してね~。



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亀岡にある[麒麟がくる 京都大河ドラマ館」。6月1日から再開。光秀のことがよくわかる展示

2020-06-02 | 博物館・美術館

緊急事態宣言が解除され、6月1日、京都府各所で、さまざなま施設が再開しました。そのひとつが、亀岡にある「麒麟がくる 京都大河ドラマ館」です。


京都駅からJR山陰本線で約20分。「亀岡駅」の正面に今年1月に完成した「サンガスタジアム by KYOCERA」の1階にある特設会場にあります。
 

今年1月から始まったNHKの大河ドラマ「麒麟がくる」。明智光秀を主人公に、戦国時代が描かれた作品。ここ亀岡は、光秀が本能寺の変に至るまでの数年、城を築き治めていたところです。

亀岡市は、長い間、光秀を大河ドラマに…と、市民の声を集めて嘆願していたそう。その願いが叶い、ついに今年からドラマが始まりました。そして京都初の球技専用競技場「サンガスタジアムbyKYOCERA]も完成し、いよいよ多くの人たちに亀岡に来てもらおうと、市役所の観光課の方々は、それまでの努力が実るときを楽しみにしていたのでした。ところが・・・コロナ感染拡大により、2月以降、すべての予定が狂います。亀岡を盛り上げるさまざまなイベントはすべて中止。スタジアムでの試合も中止、そして開館したばかりの「大河ドラマ館」も、休館を余儀なくされます。

やっと緊急事態宣言が解除され、6月1日から再開。一応来年1月11日まで、無休でオープンすることに。大河ドラマ自体が、撮影ができず、中断され、年内に放送が終わらないと言われますが、今のところ、来年1月11日までの開館予定になっています。

この日、ミモロを案内してくださるのは、館長の福田さん。「ミモロちゃん、ようこそ~さっそく来てくださってうれしいです」と。


館内に入るには、マスク着用、そして体温チェック、アルコール消毒が…「はい、問題ありませんね~どうぞ~」
 

館内には、ドラマに登場する衣装や小道具などの展示、ドラマのメイキング映像の上映のほか、光秀のことがよくわかる資料などが広い会場に展示されています。
 

来場者が撮影できる場所もいろいろ…ドラマの出演者とのツーショット写真もパネルで撮影できます。
 

「あ、鉄砲がある~」と興味をもつミモロ。「光秀は火縄銃の名手と言われ、この鉄砲は、京都府唯一の古式鉄砲隊である「丹波亀山鉄砲隊」が所有する江戸時代に製造されたものです」と館長さんの説明。
 

光秀にまつわる資料なども来場者の興味をそそります。


ミモロは、次々に展示を見学。「光秀が本能寺に行く前に訪れた愛宕神社の愛宕信仰っていうのがあるんだ~」と、知らないこともいろいろ。
 

「光秀さんって、本能寺の変で主君、信長を攻めた人だから、あんまりイメージよくなかったけど…亀岡など丹波の領民のためにいろんなことやった領主だったんだね。文化人でもあるから、領民から慕われたんだって~。でも、戦国時代を生きるって大変なことだよね~」とミモロ。

ドラマには、光秀以外にも多くの武将が登場します。そのパネルもあり、ミモロもいっしょに並んでみました。


館内には、見るだけはなく、参加できるものも…。「なあに~?なれルンですって?」と興味津々のミモロ。
 
「それは、カメラの前に立つと、なりたい人物の姿で写真が撮影できるんですよ~」と館長さん。「ミモロもやりた~い!」とカメラの前に。
「ミモロちゃん小さいから映るかな?」と心配そうな館長さん。
「あ、できた~ミモロ、駒ちゃんだよ~」と喜ぶミモロですが、う~駒ちゃんの顔がネコになっちゃった~

人間だと、キレイに収まります。


さて、大河ドラマ館は、光秀ゆかりの土地である、岐阜や大津にもあります。
「光秀が亀岡に登場するのに、まだかなり時間かかるね~」とミモロ。確かに、秋過ぎないとね~
ドラマのクライマックスの舞台になるのが、丹波亀岡です。

「ミモロちゃん、光秀グッズやお土産、それに亀岡の物産が揃う物産館も見てください~」と言われ、ミモロは、併設されている物産館に向かいました。
*「麒麟がくる 京都大河ドラマ館」の詳しい情報はホームページで

さて、ここでお願い…ミモロのお友達の「丹波明智光秀研究家」の栗林さんから、光秀に関するイメージなどのアンケートです。
みんなの明智光秀アンケート」、ぜひ皆様のイメージを教えてください。よければ参加してね~。


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STAY HOMEの時間で、キッチンの模様替え。初めてのペンキ塗りに挑戦

2020-06-01 | 日記

築30年以上のマンションに住んでいるミモロと私。
ミモロのお部屋は、大好きな赤をアクセントカラーにしています。

「でも、キッチンが茶色で、ちょっと合わないよね~もっと軽い感じにしたいのに~」と、以前から思っていたミモロ。

そう、確かになんかそこだけ重い感じ…。

そこで、外出自粛の期間に、思い切って改装することに…。と言っても、たくさんお金をかけて改装するのは、もったいない…。いつか部屋全体を改装することになるだろうから…。そこで、自分でできるだけやってみようと思い立ちました。

必要なのは、ペンキとそれを塗る刷毛、そしてペンキがはみ出さないようにするマスキングテープと、電動スクリューとリストアップしました。
近くのホームセンターでそれらを購入。費用は全部で6000円ほど。

ゴム手袋をして、汚れでもいい服装・・・そして新聞紙を用意して、いよいよ開始。
まずは、下のキャビネットに挑みます。


電動スクリュードライバーで、すべてのキャビネットの戸を外します。把手の部分も外します。
 

扉を雑巾でよく拭いて、乾かしてから、いよいよ1回目のペンキ塗り。ベランダに新聞紙を広げ、その上で作業します。


3回ほどペンキを乾かしては塗る作業をしました。初めてのペン利塗ですから、同じように塗れません。でも、まぁそれも味わいかと…自分に言い聞かせ作業を進めます。(ミモロは、今回、そばで見てるだけ、「お手伝いしたいけど、ペンキ付いたら大変だからって…」と、ちょっと不満そうですが…)


購入したペンキは水性で、匂いもなく、塗っててフラフラするようなことはありませんでした。

扉のペンキが乾くまで、キッチンに戻り、キャビネットの枠にペンキ塗り。


ここでひとまず休憩…全部が乾くのを待って、扉に把手の部分を付けてから、キッチンの枠に再びねじで止めます。

「う~下の部分、できたんだ~。まぁ、いいんじゃないの~」とミモロ。

電動スクリュードライバーは、充電式で3000円。これは、なかなか優れもので、なければ、とてもキャビネットの扉を外すことはできなかったと思います。

「う~腰が痛い…今日はこれ以上できない~」ということで、この日は終了。
そして翌日、上の棚の作業へ。一度始めたからには、最後までやらないと…。

上の棚の扉を全部外し、枠のサイドをマスキングテープで養生します。

そして、枠にペンキを塗ります。下の棚より、上の棚の作業の方が大変。足場も不安定で、慎重に作業を…
ペンキが垂れても大丈夫なように、棚の下の部分を新聞紙でカバーしての作業です。
「う~首が痛い~」


ペンキが乾いたら、養生テープを外します。


その乾燥を待つ間に、ベランダで扉のペンキ塗り作業です。
「う~刷毛目が付いちゃう~うまく塗るのってむずかしい~」と弱音を吐きつつ、途中でやめることができないので、腰の痛いのに耐えながら作業を進めました。


「え~そんなに大変なの~?」と部屋から作業を見守るミモロ。「いろいろなモノづくりの職人さんを見習わないと…」とミモロ。
その通り、自分の根気と根性のなさにあきれるばかり。でも、途中で投げ出すわけにはゆかず、ただひたすら無心で刷毛を動かします。

夕方になって、扉のペンキも乾いたよう…そこで最後に取り付け作業に移ります。

取り外すのより、むずかしい取り付け作業。観音開きの扉がうまく閉じず、何度もネジの調整を繰り返します。


「ふ~終わった~」 作業時間は、おそらく全部で10時間くらいかかったよう。途中の乾燥の待ち時間も含めて…1日5時間が体力の限界でした。だから2日かかりました。
「う~腰が痛い~」ペンキ塗りがこんなに腰に来るとは思いませんでした。でも、なんとか完成!

BEFORE AFTER

素人の初のペンキ塗りなので、以前の落ち着いた雰囲気はなくなり、カントリー調になりました。でも、キッチン全体が明るくなりました。

「まぁ、いいんじゃない!こっちの方がミモロのおうちらしいもの…」と、仕上がりのレベルはともかく色は喜んでいるミモロです。

「やっと赤いキッチン小物と合うようになったね~」。

「次はどこペンキ塗りするの?」とミモロ。「え?腰の痛みが取れて、またやる気が出たらね~」と腰をさすりながら答えます。

STAY HOMEの期間中、唯一、達成感を感じた作業でした。


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