ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

「世界遺産 国宝姫路城」。千姫など女たちの物語も…その歴史の中に。

2021-06-20 | 歴史・史跡

「ここから弓を射るの?」と「姫路城」の城壁に開けられた四角い穴。


これは「狭間(さま)」という敵と戦うための仕掛けで、ここから鉄砲や矢を放ちます。丸や三角、四角など4種類あって、ミモロが嵌っているのは、矢を放つ穴。姫路城には、現存するだけで997か所も狭間があるそうです。

「よっぽど上手じゃないと、弓引けないね~」と、眼下の敵を狙うには、腕が必要なよう。

観光ガイドさんをお願いしたミモロとお友達、お城にまつわるいろいろなお話を聞けました。
「この大きな石は、何を使ったかわかりますか?」と観光ガイドの三木さん。

「う~よく石垣には、お墓の石なんかも使われてるよね~石の露天風呂…?」とミモロ。
「これは石棺です」

「え~なんでも使っちゃうんだ~」とミモロ。そう石垣には、多量の石材が必要なため、それを手に入れるには、よく墓石や建物の礎石、また石臼やお地蔵さままで使われているお城もあります。

「石垣の様子だけでもさまざまあって、それを見てゆくのも姫路城の楽しみですよ~」と三木さん。

広い城内、いろいろな門を通るミモロ…「もうどこにいるかわかんない~。きっとひとりだと迷子になっちゃってるかも…」と。

「ここに井戸があるんですよ~」と、二の丸の広場の一角にある大きな井戸。

それは「播磨 皿屋敷」との表示が…。「え?番町皿屋敷なら聞いたことあるけど…」とミモロ。

井戸のそばには「お菊井戸」という石碑。

そもそも夏の夜咄など、ちょっと怖いお話として知られる「番町皿屋敷」。「お菊さんが家宝のお皿割っちゃって、主人に切られて、井戸に棄てられて、それから幽霊になって、いちま~い、にま~い…ってお皿数える話でしょ」とミモロ。

「ここにもお菊さんいるんだ~」「う~このお話は、実は全国にあるんです。ここもそのひとつ…」と。「化け猫のお話も全国展開されてるよね~ネコは、油舐めないなのに…美味しくないもの…」と、天ぷらは大好物のミモロ。

「ここのお城には、有名なお姫様もいらしたんですよ。その資料がお城の西にある百閒廊下にありますから、ぜひ見てください」と観光ガイドの三木さん。ここで三木さんとはお別れ、ミモロたちだけで、行くことに…。
そのお姫さまは、千姫。

西側の守りのために築かれた長~い廊下とそれにそってある局。

城で働く人たちの部屋などにも使わていたそう。

さて、「姫路城」と「千姫」のお話を少し…。
千姫は、豊臣秀頼の正室。徳川家康の孫で、7歳の時に大坂城へと輿入れします。姑となるのは、母、お江の姉の淀君。つまり、秀頼とはいとこ同士の結婚です。19歳の大阪夏の陣の時、落城する大坂城から徳川方へと連れ出されます。
「徳川のお姫さまだけど、育ったのは豊臣家だし、秀頼さんとも仲良しだったらしいよ~」とミモロ。
形勢不利の戦いで、なんとか育ての親である淀殿と秀頼の命を救って欲しくて、きっと家康に頼むため、徳川方に行ったとも言われます。
千姫にとっては、大阪冬の陣も夏の陣なども、言ってみれば親戚同士の戦い。生みの親と育ての親の姉妹同士の戦いでもあり、本当にすごく悲しいことだったことでしょう。(ノд-。)クスン

秀頼との千姫の間には子供はできませんが、秀頼の側室には子供があり、千姫は、その子らの世話もしていたとか。
「う~側室がいたんだ~ちょっと複雑…でもお世話したってやさしいね、千姫さん」とミモロ。でも、その側室のことはよくわかっていないとか。
自分が大坂城に入った時と同じ歳の7歳の女の子を可愛がっていたと言われる千姫は、大阪夏の陣で徳川に戻った時、その子を自分の養女にして、なんとか命を救います。「きっと自分を重ね合わせたのかも…(ノд-。)クスン」とミモロ。でも、他の豊臣家関係の人たちは、救うことはできなかったんです。

豊臣家と縁を切ったということにさせられた千姫。
そして大坂城落城の翌年(1616)、桑名藩主だった本多忠政の嫡男、忠刻(ただとき)と結婚。それは忠刻に出会った千姫の希望だったとかいわれますが、真偽のほどは…。翌年、本多家が播磨姫路にお国替えになり、千姫は姫路城へと入ります。

「え~大好きな秀頼さんが自害した翌年に別のところにお嫁に行ったんだ~。まぁ、自分の大切な人たちを自害に追い込んだ徳川家の人たちの中で暮らすの辛いよね~離れた方がしあわせかも…それに忠刻さんを好きになったんだって~」とミモロ。

自分の思いを叶えた結婚で、忠刻との仲も睦まじく。勝姫と嫡男幸千代が生まれます。
でも、嫡男幸千代は3歳で亡くなり、そして間もなく頼りにする夫、姑、さらに実母のお江も相次いで世を去り、城主は、弟に引き継がれ、千姫は娘を連れて本多家から実家の江戸城へと戻ることに。

お嫁入の時の莫大な持参金は、姫路城の整備などもに費やされました。
本多家にとっては、千姫の嫁入りは、なんとも複雑な状況。徳川家の申し出は、怖くて断れないし…。まぁ持参金もあることだし…という感じかも。
子供も生まれ平和な日々が続くように見えた千姫の姫路城生活。でも息子、そして夫、姑まで次々に亡くなってしまい、さすがに本多家の内部から厄病神のように思われる空気が漂ったことも…それで居たたまれず、実家に戻った…という説も。

「どんな環境でも一生懸命、周囲の人たちを大切にした千姫さん、なんかかわいそうすぎる~」と千姫の話を示す資料も見ながら涙ぐむミモロです。
自分の身に降りかかるさまざまな過酷な出来事。そんな状況でも自分を見失わず生きる千姫は、江戸に戻り、出家。70歳で天寿を全うします。

「なんて強い女性なんだろ~信長の妹のお市の方を祖母にもつ千姫さん…すごい人だよね~」と。聡明さと美貌を備えたと言われる千姫です。

さて、城内を見学したミモロたちは、最後に売店へ。
そこでお友達は、御城印を求めました。

「へぇ~いろんなご朱印あるんだね~。全国のお城の集めるの大変だね~でも、楽しそう」と。

ミモロは見学記念のスタンプを押すことに…ブチュ~


売店には、姫路城土産がいろいろ。姫路の銘菓も並びます。
 

「姫路城に来られてよかった~しかもすごく空いてたし…」

本当に感激した「世界遺産 国宝姫路城」。

「さぁ、最後にお城の西側にある日本庭園「好古園」も見なくちゃね~」とお友達。「うん。でも早く行かないと閉まっちゃうよ~」と。ミモロたちは、急いでお濠沿いに歩き、「好古園」を目指します。


「世界遺産 国宝姫路城」の詳しい情報はホームページで


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京都日帰り旅。だれもいない~「世界遺産 国宝 姫路城」の天守へ。

2021-06-19 | 歴史・史跡

「う~待って~」とミモロが必死に登っているのは、「世界遺産 国宝姫路城」の天守の階段。

京都から日帰り旅に出かけたミモロとお友達。「わ~こんなに空いてるんだ~」と、ほとんど参観者がいない姫路城にビックリ。

通常なら、多くの人が列をなす天守。「こんなのことは、今までなかった!」という観光ガイドの三木さんといっしょに、ゆっくり城を巡ります。


ミモロたちが目指すのは、大天守。高さ31.5Mの地上6階、地下1階の7階構造になっている日本最高峰の木造建築です。

天守の内部は、武器倉庫や兵士たちが待機するスペース、また籠城のための食糧備蓄庫など、戦いに備える施設や工夫が凝らされているのです。


「随分上がった感じ~」と、窓から外を眺めます。
 

眼下に広がる城下町、姫路。この町を整備したのは、毛利攻めに進軍した秀吉で、播磨の国の中心地となるよう大規模な城下町を作りました。
その後、天下人となり大坂城に移った秀吉に代り、弟の秀長が、そして秀吉の正室の兄 木下家定が城主となります。
関ヶ原の戦い以後は、池田輝政が、徳川家康の命で入城。西国の守りを強化するため、いっそう城の整備を行います。

「つまり、江戸時代に今のような形のお城になってから、実際、幕末に新政府軍に威嚇攻撃され、開城するまで、戦いらしい戦いはしてないお城なんだよね~。だから残ったんだ~」とミモロの解釈。

「普段は、ここ何に使われてたんだろう?」と、広いスペースを見渡します。


「さぁ、一番上に行きますよ~」と観光ガイドの三木さんに言われ、また急な階段に挑むミモロです。


「ここが大天守の最上階?!」そこには、中央に「刑部神社」が祀られていました。これは実は近代になって、以前城内にあった地主神社を祀ったそう。

窓から外を見ると「あ、鯱(しゃちほこ)」そして明治時代の軍の赤レンガの建物が見えます。
 

この大天守を支えるのは、東西2本の大柱で、ひとつは角柱、もう一つは丸柱で、地下から5階までの通柱になっています。
「触ってもいいですよ~」と言われ、「いいんですか?爪立てませんから…」と抱き着くネコのミモロです。


また、各所にある釘隠し…「ここは丸くなっていて、なんに見えますか?」と三木さん。「あ、おっぱい!」と思わずしがみつくミモロ。


敵の攻撃をかわすために、さまざま工夫が施された天守ですが、実際に使われることはなかったのです。

「使わないで済んでよかったんじゃない…」と思うミモロです。

「見学いかがでしたか?」と、スタッフの方。「はい、すごく興味深かったです~」とミモロ。「ゆっくり見られてよかったですね~」


本当に静かな姫路城。「まるで独り占めみたいだったね~」と、広いスペースでミモロの小ささが目立ちます。


コロナ前は、大勢の参観者が訪れ、大天守に入るのを諦める人もいたそう。安全上、天守に登る人数制限もあり、1時間以上待つこともざらだったそう。「よかった~密じゃなくて…」

城内各所でミモロが関心を抱いたのは、消火器。木製のケースに入ったもので、周囲との調和を感じます。


「さぁ、もう少し外を説明しましょう…」と観光ガイドの三木さんとの時間も終わりに近づいてきました。


*「世界遺産 国宝姫路城」の詳しい情報はホームページで


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「だれもいない~」とビックリした「世界遺産 国宝 姫路城」。どこから見ても美しいお城

2021-06-18 | 歴史・史跡

「あれ?姫路城って空いてるんだ~だれもいないよ~キョロキョロ」


京都から新幹線で45分の姫路。そこには、世界遺産である国宝姫路城が町の中心に聳えたっています。

日本を訪れる海外観光客に人気のある観光名所のひとつで、通年、多くの人が訪れる場所。しかし、今、コロナ禍の緊急事態宣言が発令中で、観光客の姿は、本当にまばらです。

広大な敷地を有する姫路城の三の丸広場には、隣接してあるのは「姫路市立動物園」。ミモロが興味を示す場所です。

「キリンやライオンなんかいろんな動物がいるんだって~」というミモロ。でも、今回は、まずはお城ね!
後ろ髪を引かれる思いを残しながら、ともかくお城を目指します。

「すごく大きなお城だね~」と案内図を見たミモロ。あまりの広さにどこを、どう見たらいいか、ちょっと心配に…


そこで受付のところで、入城料1000円を支払いつつ、ちらりと目にした「姫路城シルバー観光ガイド」の看板。

個人的にお願いできる観光ガイドさんで、いっしょにお城を巡りながらお城の魅力などを解説してもらえます。
「ねぇ、お願いしようよ~」とミモロはお友達に。観光ガイド料は2時間で2000円。「いいわね~」とお友達。それぞれ1000円出してお願いします。


姫路城にはスマートフォンの音声ガイドもあり、こちらは通信費だけで利用可能です。「でも、やっぱりガイドさんがいいよね~」と。
そう、姫路城のことを隅から隅まで知る知識豊富な観光ガイドさんが揃っていて、1グループ1名から15名まで2時間お付き合いくださいます。

もちろんパンフレットを見たり、音声ガイドで城内を巡るのも可能ですが、できれば観光ガイドさんをお願いした方が、逆に効率的であり、ポイントを見逃さず、しかも質問もできます。特に、ミモロのように全く知識がない人(ネコ)にとっては最善の楽しみ方。ぜひおすすめです。

「では、中に入ってください~ガイドさん来ますから…」


「ようこそ~姫路城へ、じゃこれから城内をご案内しますね~」と、ミモロたちは、ベテラン観光ガイドの三木さんといっしょに城内を巡ることに。


さて、「世界遺産 国宝 姫路城」は、もちろん日本を代表する建造物のひとつ。国内で現存する最大規模の城郭建築で、その歴史的および文化的価値より、平成5年12月、奈良の法隆寺地域の仏教建造物と共に、日本で初めて世界遺産に登録されました。

平成27年に、5年半にわたる大天守保存修理を終え、それまでの幕が外され、連立する天守と白漆喰総塗籠の秀麗な姿が再び蘇りました。
「わ~まさに白鷺城だね~」と、感激するミモロ。青空に映える白い姿…そこには代々、この城を守る城主たちの思いが込められているようです。

姫路城の歴史は、元弘3年(1333)この地域を治める赤松氏が姫山に砦を築いたことに始まります。
その後、小寺氏、そして黒田氏、池田氏、本田氏、松平氏、酒井氏などが城を増築したりと、美しい城を守り伝えます。

「黒田官兵衛は、このお城で生まれたんですよ~彼が築いた石垣なども残っています」と三木さん。

いろいろなお話を聞きながら進む城内…「やっぱりガイドさんといっしょでよかったね~」と思うミモロです。


迷路にようになっている城内の道を歩きます…「どこにいるかわからなくなっちゃう~」


姫路城は、それまでの城郭建築の技術を集約した、城郭建築の傑作。秀吉および家康の庇護および莫大な支援によって守られた城でもあります。

「ミモロちゃん、ここでは人気時代劇の「暴れん坊将軍」のタイトルバックの撮影が行われました。どうしてだかわかる?」と三木さんからクイズが…「え~『暴れん坊将軍』で松平健さんが、白い馬で現れるタイトルでしょ…」と、「タッタタ~タタタタ~」と思わずテーマソングを口ずさむミモロです。気分はすっかり暴れん坊将軍…。

「う~つまり江戸城に見せてるわけだよね~」「そうですね~」「立派な城だから…」とミモロ。「う~それでじゃなくて…つまり江戸城に似てるんです。天守閣や白い壁,お濠の作り方なんか…」と三木さん。「え?江戸城って、白かったんだ~」ミモロの頭には、皇居の姿が浮かびますが、どうも昔の江戸城の姿はよくわからないのでした。

ちなみに、姫路城では、「007は二度死ぬ」か「「影武者」「大奥」「関ヶ原」などの映画のロケにも使われたそう。
「さぁ、天守に登りましょう」と三木さんのあとを追うミモロです。


「ところで、あの~このお城、焼失したりしなかったんだ~空襲とか大丈夫だったの?」とミモロ。

「はい、幕末、徳川方だったため、新政府軍に包囲され、幕府軍に空砲を打たれたことはありましたが、すぐに新政府軍と交渉し、開城し、攻撃を回避しました。また、明治維新に全国に発せられた「廃城令」でも存続する56城に選ばれ解体を免れたんです。さらに太平洋戦争で、姫路が空襲を受けた時、爆弾を撃ち込まれたんですが、それが奇跡的に不発だったんです。なんでも夜間の空襲で、レーダーに映った濠が沼だと思われ、あんまりお城の周りは爆撃しなかったとも…。焦土となった姫路の町に、聳え立っていた天守の姿を見た時、人々は涙を流したそう…」と三木さん。


眼下に広がる姫路の町…「すごい奇跡的だね~空襲受けなかったの…不滅の城なんだね~」と改めて姫路城の運の強さを思うミモロでした。


「天守の中って広いんだね~」と、6階建の天守を下から次々に上がってゆきます。


「広く感じるのは、他に人がいないからなんじゃない?」とお友達。そう、ミモロが走り回れるほど空いているのです。
「いつもは、たくさん参観者がいらっしゃるので、天守には2時間待ちということも。もちろんそれぞれの階に上がれる人数の制限もありますから…」と三木さん。

通常なら、大勢の人で、ミモロがひとりでは歩けない状況のはず…。「わ~独り占め…」と、姫路城を思う存分楽しむミモロです。



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京都から新幹線で45分。日帰りで訪れた世界遺産「姫路城」。参観者激減の今…

2021-06-17 | ものづくり
「一度行ってみたい~」と以前から思い続けたいたミモロ。それは海外からの観光客に大人気の「世界遺産 姫路城」です。


コロナ禍の今、充分に注意しながら出かけました。
「新幹線乗るの1年以上ぶりかも…」

京都駅から岡山行の「ひかり号」の自由席に乗ったミモロとお友達。

車両には、ミモロ以外に4名の乗客が…「ガラガラなんだ~」これなら安心だね~」と、ミモロはお友達と席を放して座ります。

京都駅からは約45分で到着する姫路。もちろんJR快速でも行けますが、「そっちは結構混雑するから…」と新幹線にすることに。
姫路が近づくと、車窓からは瀬戸内海が見えます。「わ~海だ~」と、久しぶりの海をじっと見つめるミモロです。


久しぶりの新幹線…「あれ~新幹線の公衆電話って、もう使えなくなったんだ~」と、携帯電話が普及し、ついにカード式の公衆電話は姿を消すことになりました。


「もっと遠くまで行きたい~」という思いを抱きつつも、今回は、兵庫県どまりに…

「初めての姫路だね~」と、何度か博多に行く時に通過した姫路に初めて降り立つミモロです。


「姫路って、すごく遠いとこって感じたけど、よく考えると、兵庫県なんだよね~」と東京生まれのミモロにとって、実は東京から熱海くらいの距離なのでした。そう思うと、「すごく近かったんだ~」と今更ながら思うミモロです。

姫路駅の構内には、御神輿が飾られています。「なんか変わった御神輿…見たことない~」

これは、毎年、10月14,15日に行われる姫路の「松原八幡神社」の例大祭「灘まつり」の屋台です。


担ぎ手が勇ましく町を巡り、さし上げられる勇壮な祭りです。「へぇ~このお祭り知らなかった~見てみたい~」と思うミモロ。
何しろ、その豪華絢爛な屋台の素晴らしさは、まさに芸術品。

毎年、何万人の見物人が訪れるという祭りなのです。「屋台、倒したり、ぶつけたり、なんか勇ましい祭りらしいよ~」と、資料を見ながら…。「姫路って、なんかすごいね~」と全く知識がないミモロなのです。

そこで、まずは、観光案内所へ。「あの~姫路城ってどうやって行けばいいんですか?日帰りで、どこを楽しめばいいですか?」と伺います。


案内所で町のマップや名物がのったパンフレットなどを頂きました。
「う~姫路の名物ってなんだろ?何が美味しいの?」
案内所の方は、特定のお店のおすすめは避けられましたが、「どうも海鮮物がやっぱり美味しいみたいだね~」でも、これぞ名物…というのがよくわからないミモロなのです。

ともあれ、まずは、「世界遺産 姫路城」を目指します。
姫路駅を出ると、なんと目の前に「姫路城」が見えるではありませんか?「すご~い、お城にまっすぐ大通りが通じてるんだ~」

「なんだ~ここから歩けるね~」とミモロ。バスでももちろん行けますが、徒歩15分ほどで行けるとのこと。そこで歩くことに…

駅から続く大通りは「大手前通」で、並木が続き、途中に彫刻なども飾られています。


「へぇ~こういう町なんだ~」とキョロキョロしながら進みます。


やがて城への入口に到着。内堀に掛かる橋を渡り、大手門から城内に入ります。
「だれもいない~」と橋の上のミモロ。コロナ前までは、国内外の観光客でいっぱいだったという橋です。


観光客が激減しているとは、聞いていましたが、まさかこんなに人がいないとは…。
「もしかして、ミモロお城独り占め???」

今まで、ミモロのだれもいないシリーズで、京都各所の神社などをご紹介してきましたが、さすがに「姫路城」までは予想していませんでした。

さぁ、みなさんにゆっくり「姫路城」の魅力をお伝えしましょう。




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当日申込で参観した「京都仙洞御所」。雨が苔や木々の緑をいっそう美しく…

2021-06-16 | 歴史・史跡

日曜日にたまたまお散歩に行った「京都仙洞御所」。当日申込で参観することになったミモロ。「なんかラッキーだったかも~」と思います。
緊急事態宣言が延長されている京都…国内外の観光客がほとんどいないため、この時期は、当日申込での参観には余裕があったよう。
「わ~やっぱりいつ来ても素敵な場所だよね~」と。


「京都御苑」の南東エリアに位置する「京都仙洞御所」。
皇位を退かれた上皇さまの御所で、寛永7年(1630)に後水尾上皇の御所として建てられました。そしてその北側には、皇后である東福門院の女院御所も建てられました。
「きっと立派な御殿だったんだろうねぇ~」と想像するミモロ。「だって、奥様である皇后の東福門院さまは、徳川秀忠さまの娘で、お嫁入以来、徳川家がすごくバックアップしてたからねぇ~」と。
後水尾天皇は、政治的な権限はほとんど持つことができなかったため、若くして譲位なさり、文化芸術に没頭なさったことでも知られます。
「修学院離宮も建てちゃったり…かなりお金使ったよね~まぁ、今もそれが残ってるから、日本のある意味で財産になってるけど…」

「京都仙洞御所」をガイド担当の方に導かれながら、散策するミモロ。

歩きながら、いろいろ想像するのが楽しいようです。

現在、このエリアには、慶応3年(1867)に孝明天皇の女御である英照皇太后のために女院御所の跡に造営された大宮御所以外には、茶室しか建物はありません。それは、なんども火事に見舞われて、その都度、御所が焼失してしまったから。
後水尾上皇のいらっしゃる時にも3回も焼失。その後、霊元、中御門、桜町、後桜町、光格の5代の上皇の仙洞御所として使用された後、嘉永7年(1854)の京都の大火で焼失してからは、上皇さまがいらっしゃらなかったので、再建されることなく、今に至っているのだそう。

「京都仙洞御所」の見どころは、かつての「仙洞御所」と建物がある「大宮御所」を合わせた敷地内にある北池と南池の周囲の景色です。


庭園のベースを作ったのは、小堀遠州です。


雨がしたたる中を進むミモロ。「でも、雨もいいね~緑がすごくキレイに見えるから…」と自分が濡れることもあまり気にせず歩きます。


建物は少なくても、石灯籠や藤棚など、見るべきポイントはいろいろ。
 

「あ、サギものんびりしてる~」静かな庭園には、サギや鴨なども訪れる憩いの場。


さて、苑内にある茶室をご紹介…
庭の南側にある茶亭「醒花亭」

西側にある「又新亭」

いずれも趣のある茶亭です。

約1時間弱の参観…全部で7名の参観者と歩きました。「今までの参観で一番参加者少なかったね~」とミモロ。


ミモロの住まいから、自転車で10分以内で素晴らしい景色が楽しめる京都。
「なんかすごく気持ちよかった~」とミモロ。コロナ禍の暮らしは、心が縮み、緊張することが多いもの。ミモロでもやはり感じているのです。


「また、参観させてもらおう…」と思うミモロです。

当日申込は、11時から。月曜はお休みです。ぜひ、美しい緑で、心を癒してはいかがでしょ。


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