友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

銃口ー教師・北森竜太の青春

2007年07月12日 23時35分52秒 | Weblog
 今日は名演の日です。
 7月例会は青年劇場の『銃口―教師・北森竜太の青春』である。原作は三浦綾子さんだが、残念ながら私は読んでいなかったので、どんな話なのかと思いながら出かけた。帰りの車の中で、80歳になる私の友人が「出てくる人はみんないい人で、見ている人は涙を流して『今日はいい芝居だった』と言うかもしれないけど、あんなにみんないい人だったわけではない、私は素直でないからそう思ってしまう」と言う。私自身は戦後のことしかわからないが、戦前の空気を少しでも知っている彼女には甘すぎると見えたのかもしれない。

 それはわからないけれど、三浦さんのこの作品は実際に北海道であったことを下に描いている。綴り方をとおして子どもたちを教育していこうという真面目な教師たちが、「共産主義者あるいは共産党の手先」と弾圧された事件だ。主人公の北森先生がそうであったように、子どもが好きで子どものためにと一生懸命だった良心的な教師が、そのために捕らえられ、拷問され、亡くなった人さえもいた事件だ。治安維持法はどのようにでも拡大解釈できたし、特高が目を付け、捕らえることで、人々を恐怖に落としいれ、国家に服従させるに充分だったのだ。

 人間は権力に弱い。権力を持てば、人を押さえつけることができる。権力の餌食になる者は、恐怖から逃れるために良心を曲げる。北森先生も、綴り方教育は国家に反逆するものではない、したがって自分の良心を曲げよ、教師を辞職せよ、と迫る特高に屈しなかった。しかし、自分が尊敬する先生を助けるために、特高の要求に屈する。人として最も大切なことは良心を裏切らないことだと信じてきただけに、自分の行為を恥じた。

 戦後、かろうじて生き残り、復員した彼は教師に戻ることをためらう。自分に本当にその資格があるのか、彼は迷う。戦友の手紙をその母親の元に届けに行き、そこでその母親から、「先生のおかげで字が書け読めるようになり、心が通じることができた」と言われ、教師は人と人との心をつなぐ仕事だと理解し、復職を決意する。そんな風にハッピーエンドでいいのかなと、私の友人は思ったのかも知れない。三浦綾子も教師であったから、戦前と戦後に生きた教師の苦悩、その苦悩を通して、人は何を大切に生きるかを描きかったと思う。

 日本国憲法は、第36条で「公務員による拷問および残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」と述べているのも、過去への反省からだ。人は決して強くない。「痛い目にあわせてやる」という言葉があるが、何度も繰り返されたならどんなに強い意志の人でも、恐怖から逃れられたいと思うものだ。国民の心が一つになるということは、そこからはみ出す人がいれば、許さないということでもある。そんな世の中には怖い。そんな社会にしてはならない。
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