友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

おやじのせなか

2007年07月08日 23時20分38秒 | Weblog
 今朝の朝日新聞の『おやじのせなか』の欄に、「ルー大柴」が出ていました。私はこの少しやかましいタレントが好きではありません。どれほど芸の幅があるかも知りません。関心外のタレントだからです。たまたま、今日のブログのテーマはないかと朝日新聞を読んでいて、この記事が目に留まりました。

 子どもにとって父親は乗り越えるべき対象です。母親はいわば同士のような、痛みを分かち合える存在でも、父親は競争相手のような存在だと私は感じてきました。「ルー大柴」が父を語り、「そんな父の血を、私も半分受け継いでいます」「最近、父に似ていると感じることがあります」と言う気持ちがよくわかります。多分若い時は、お父さんの気持ちを理解しようというよりも、「『跡取りに』という期待する周囲から逃げたかった。でも、本当は、この頃、不仲になっていた両親の姿を見たくなかったのです」と、吐露しているように、別の世界を見ることで現実から逃れたかったという気持ちもよくわかります。

 私の父は、何も求めなかった人だと私は思っていました。15歳年上の姉やその下の兄には、厳しく勉強させたようですが、戦後の教育を受けた私や妹は全く自由にさせてもらいました。勉強を強要された記憶は全くありません。「宿題をやったか」と聞かれたこともありません。姉たちは一度も無いと言っていましたが、私たちは1年に一度、日帰りでしたが犬山へ行ったり、伊勢に行ったり、どこかに連れて行ってもらいました。

 父は物書きになりたかったのだとは、姉から聞いたことがあります。「ルー大柴」の父親も「物書きになる夢がありました。純粋すぎる人でしたから、夢と現実のギャップに苦しみ、母とすれ違うようになりました」そうですから、良く似ているなと思います。私も父の血を半分受け継いでいますから、夢想家のようなところがあります。それでも父の昔の日記を読むと、その世間知らずな感覚に驚きますから、父よりは多少は世間を知っているつもりです。

 「ルー大柴」は最後の行で、「やったな、サン(息子)」で締めくくっています。残念ながら私は父親からそう言ってもらえるような人生を歩けなかったことが気懸かりです。父をいつかは乗り越える存在になりたいと、ずうっーと思ってきたのに、乗り越えられたのはただ父よりも長生きできたということだけです。今、そのことを思い出して、そうかそれだけでもきっと父は満足してくれるだろうと思いました。

 今朝の新聞は各社が、赤城農林水産大臣の事務所経費の問題を取り上げていました。そういえばこの人のお祖父さんも農林大臣だったと思います。息子は父親を、孫は祖父をどのように思って生きてきたのだろうか。少なくとも、父親や祖父の名を汚したくはない。それは血を受け継ぐ者の思いです。子や孫は、父や祖父を超えてこそ一人前の存在になれるからです。その点で、私は父にすまないと思っています。
コメント
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