友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

摩訶不思議な出来事

2007年07月15日 18時42分42秒 | Weblog
 昨日は今度の夏祭りにどんな屋台を出すか、その打ち合わせを我が家で行った。みんなが帰って、パソコンに向かってブログを書いていたはずなのに、掲載できていない。そういえば打ち込んでいるうちに、気が付いたら午前零時を過ぎてしまっていた。ああ、万事休す。そうなるとやはり途端に酔いが回ってきて、それからどうしたのか覚えていなかった。さて、その文章だが次のように打ち込まれていた。

 屋台の出し物だが、メインであるアユの塩焼きは、今年はこの長雨のために天然物が採れないのではないか、そういう心配が大きかった。確かにこの長雨では無理だろうから、天然物は高くなりそうだと言うのが大方の予想である。せっかくのメインが高くなっては、私たちの屋台の呼び物が無くなってしまう。たとえ、アユが高くなったとしてもやはり今までどおりの値段で売らなくてはならないだろう。そこで、じゃあー何か補助になるものを考えようということになった。

 屋台で何を出すか、何を作ってどのように売るのか、利益があるとか無いとかいうことよりも、この商品は売れるであろうとかイヤこちらの企画の方が売れるよ、といった議論が楽しいのだ。午後7時に集まっていただいてから、ほぼ1時間半、真面目に議論して運営の指針がまとまった。それでは、その商品の試食をしてみて、最終判断をしようということになった。食べてみると、どれも美味しく捨てがたい。なんとか全てのアイディアが活かされるようにと、飲みながら食べながら、我が家での議論は続いていった。

 久しぶりに、ワイワイガヤガヤと飲んでは話し、止まることが無かったが、気が付けば午後11時を回っていた。親しい友人に時計を見せ、そろそろお開きにしないと、いつ終わるのかわからなくなるよと目配せする。そこは心得たもので、手際よく終了の雰囲気を作っていってくれる。
 
 ここまで、書いてあったが次の文章がよくわからない。

 若い時は、人妻を口説いてはならないと自責の思いに責められていたとしても、やはり詩作の世界に入り込んで行ったのだから。しかし歳を重ねた今、恥ずかしさばかりで先を読み見て描いている芸術を

 何が書きたかったのか、全くわからない。誰かが私のパソコンに侵入してきて書き込んだのかとさえ思ったが、わざわざそんなことをするはずが無いし、意味不明で途中半端なのもヘンだ。どうやら酔っ払っていたので、自分でも何を書いているのか、わからなくなっていたのだろう。シュールリアリスムならばさしずめ自動記述法による作品とでもなるのだろうが、作品の体裁はなく、読み返してみると摩訶不思議な思いがする。
コメント
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