今日は中学のクラス会を開催するため、お知らせをする往復はがきの印刷にかかった。まず、返信面をワードで印刷する。こちらは全く無難にできた。それではと思い、クラス名簿を再確認し、これまで「筆まめ」で作っていたものをエクセルにコピーして準備を整えた。往信面を作り、名簿からデーターを取り込もうとするが、どうしてかできない。おかしいな、年賀状も宛名ラベルの印刷もこれまでもやってきたはずなのに、どうしてできないのだろう。私のパソコンのアドバイザーから送ってもらったはがきの印刷に関するファイルを開いて、アレやコレやとやってみるが、できない。
「筆まめ」で年賀状を作ったのはどういう方法だったのかと思い起こそうとやってみるのだが、エッこれもできない。全く何もかも忘れてしまっているのだ。何という痴呆症かとわれながら呆れてしまった。呆れてしまってから、イヤコレは重大なことだと気が付いた。やっていたことが思い出せないのは、思考の一つの回路がなくなっているということではないだろうか。「“しょうがない”は口癖だから」というのとはワケが違う。この人の辞任の弁もおかしかった。自分の発言の内容について、その非を認めて辞任するのではなく、「参議院選挙に迷惑がかかってはいけないから身を引く」と言う。国民なんて埒外なのだ。自民党政治家の本性見たりというところだ。
私の方は3時間もパソコンの前に座り続けていながら、解決できないことの焦りは大きい。藤原正彦さんの『国家の品格』について、きちんと考えてみようと思っていたのに、考える前に思考の崩壊では悲しくなる。中学高校の同級生で今はメル友である彼女は「その当時は、よくぞ書いてくれましたと何人かのお友達に是非読んでみてと薦めたくらいです」とメールをくれた。私も初めの部分、「世界中の先進国は荒廃の道を歩んでいる」は同感した。「市場主義あるいは市場原理主義、実力主義、物質主義、金銭至上主義」と「グローバル化という名の世界のアメリカ化」に原因があると私も思っている。「市場原理申し子と言うべき金融派生商品に至っては資本主義自身を潰す」ことになるだろうと私も思う。
現状認識では一致するところがたくさんあるが、なぜ、そうなってきたのかという歴史のとらえ方では大きな違いがある。そしてもっとも違うなあと思ったのは、それではどうしていくのかという点だ。藤原さんは情緒や武士道に心惹かれているが、そんなもので解決できるとは私には理解できない。資本主義はカルビン主義を利用したロックが作り上げたものだというのも納得できない。私はキリスト教、特にプロテスタントには大きな関心があるので、それは藤原さんのヘリクツに過ぎないと思ってしまう。
どうも藤原さんは論理を排除しようとする余りか、歴史を論理的に検証することをも排除しようとするようです。資本主義は論理で出来上がったものではありません。歴史の積み重ねの結果です。そこに働く力は複雑ですが、「富」というか「経済活動」というものと、密接不可分であると思います。イギリスに産業革命が起こったのも、十字軍の遠征も、日本やドイツの侵略も、必ず原因があるはずです。
そんなことを考えながらパソコンに向かっていたら、アレ支離滅裂で話の繋がりはよくないけれど、まあ普通の文章になっているではないか。それならもう少し様子を見てもいいのかなと思った。
「筆まめ」で年賀状を作ったのはどういう方法だったのかと思い起こそうとやってみるのだが、エッこれもできない。全く何もかも忘れてしまっているのだ。何という痴呆症かとわれながら呆れてしまった。呆れてしまってから、イヤコレは重大なことだと気が付いた。やっていたことが思い出せないのは、思考の一つの回路がなくなっているということではないだろうか。「“しょうがない”は口癖だから」というのとはワケが違う。この人の辞任の弁もおかしかった。自分の発言の内容について、その非を認めて辞任するのではなく、「参議院選挙に迷惑がかかってはいけないから身を引く」と言う。国民なんて埒外なのだ。自民党政治家の本性見たりというところだ。
私の方は3時間もパソコンの前に座り続けていながら、解決できないことの焦りは大きい。藤原正彦さんの『国家の品格』について、きちんと考えてみようと思っていたのに、考える前に思考の崩壊では悲しくなる。中学高校の同級生で今はメル友である彼女は「その当時は、よくぞ書いてくれましたと何人かのお友達に是非読んでみてと薦めたくらいです」とメールをくれた。私も初めの部分、「世界中の先進国は荒廃の道を歩んでいる」は同感した。「市場主義あるいは市場原理主義、実力主義、物質主義、金銭至上主義」と「グローバル化という名の世界のアメリカ化」に原因があると私も思っている。「市場原理申し子と言うべき金融派生商品に至っては資本主義自身を潰す」ことになるだろうと私も思う。
現状認識では一致するところがたくさんあるが、なぜ、そうなってきたのかという歴史のとらえ方では大きな違いがある。そしてもっとも違うなあと思ったのは、それではどうしていくのかという点だ。藤原さんは情緒や武士道に心惹かれているが、そんなもので解決できるとは私には理解できない。資本主義はカルビン主義を利用したロックが作り上げたものだというのも納得できない。私はキリスト教、特にプロテスタントには大きな関心があるので、それは藤原さんのヘリクツに過ぎないと思ってしまう。
どうも藤原さんは論理を排除しようとする余りか、歴史を論理的に検証することをも排除しようとするようです。資本主義は論理で出来上がったものではありません。歴史の積み重ねの結果です。そこに働く力は複雑ですが、「富」というか「経済活動」というものと、密接不可分であると思います。イギリスに産業革命が起こったのも、十字軍の遠征も、日本やドイツの侵略も、必ず原因があるはずです。
そんなことを考えながらパソコンに向かっていたら、アレ支離滅裂で話の繋がりはよくないけれど、まあ普通の文章になっているではないか。それならもう少し様子を見てもいいのかなと思った。