友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

甥の息子と孫娘の成長

2007年07月25日 22時52分44秒 | Weblog
 甥っ子にお墓参りの日程を知らせるために、電話をすると甥っ子の嫁がでた。送っていただいたお中元の礼を言い、お墓参りの日と時間を告げた。すると甥っ子の嫁は「息子が(私が卒業した)高校に入学でき、(私の)後輩になることができた」と嬉しそうに言ってくれた。私は、甥っ子の息子が高校入試だったのに、すっかり忘れていたこと、1月に姉の喜寿の祝いをして以来、甥っ子と話をしていなかったことを知った。息子が私と同じ高校に入学してくれたことを誇らしく思って話してくれた甥っ子の嫁の優しさに胸が詰まる思いがした。

 甥の父親である私の兄も、そして私たちの父親も、同じ学校の卒業生だ。地域では一応名門高校だが、入学するまでは進学するのが当たり前のように思っていてそうした意識はなかった。入学してみるとかなり遠いところから通学してくる者がいて、しかも中学では学年でトップだったと言う。それでも、話していると私とそんなに変らなかったし、確かにこいつは自分よりも優れていると思える者は数少なく思った。恐れるにあらず。ところが中間試験の結果は散々だった。二桁になったことが無かっただけにショックは大きかった。ここから自分勝手な理屈を構築するようになってしまった。

 孫娘が、9月に行われる中学校の体育大会で100メートル走に名乗りを上げたと言う。中学校の体育大会ではそれぞれがどこかの種目に出場するルールのようで、自己申告が建て前だと言う。どうして100メートルなのかと孫娘に尋ねると、「ママの記録を塗り替えたいから」と言う。そういえば、孫娘が通う中学校の体育大会のプログラムには、各種目のこれまでの最高記録が記載されているが、100メートル女子ではずっと長女の名前が続いている。未だに破られていないこの記録を破るのは娘である自分しかいないと孫娘は考えているのだ。

 長女は演劇部にいたので、陸上の本格的な練習をしたわけではなかったが、走ることは速かったので、学校を代表して大会には出ていたようだ。娘から「ママの記録を塗り替える」と聞いた長女は、「まあ無理だと思うけどね」と誇らしげだ。孫娘は「いいの。1年生では無理でも、3年間のうちに抜かせばいいのだから」と負けていない。一人っ子で、自分ひとりでは何にもできない甘ちゃんだと思っていたけれど、中学生になってから、ずいぶん変ってきた。孫娘にとっては、勉強もできないアホな子と思われ続け、自分でも多分そう思っていたのだろうが、中学に入っての初めての試験で一桁の上位の成績だったことで、一気に自信が付いたのだ。

 甥っ子の息子や孫娘が、高校生や中学生になった。恋ができる年齢になった。そう思うとなんだか胸が熱くなってしまい、甥っ子の嫁に「よく頑張りましたね」と優しい言葉がかけられなかった。後から生まれた人間が大人になっていき、先に生まれた人間が老いていくことで歴史は回っていく。わかっていてもなかなかわからない。
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