友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

政治家になれなかった

2007年07月31日 23時39分30秒 | Weblog
 カミさんは私よりもしっかりとテレビを見ている。今度の参議院選挙で、どの候補者がどんな選挙活動を展開したのか、実によく研究している。あのね、これが10年前ならば役に立ったけれど、もう私は選挙に出ることは無いから、そんなに目を輝かせて見ないで欲しいね。この前会った民主党の市議は、選挙ではもちろん街頭演説が中心だけれど、実は時間のほとんどを支援者への戸別訪問に使っていたと話していた。「自分が回れなければ、カミさんが回りました」と、その若い市議は話した。

 そうした点では、私は政治家に向いていないなと思った。当選するためには何がなんでも支持者回りに徹するというこの若い政治家のようにはできなかった。ニュースレターを一軒一軒に配布して回ることが精一杯だった。自分の主義主張や自分の人柄を記したニュースレターを読んでくれれば、みんなが自分を理解し支持してくれると思っていた。実は思いたかったのだ。カミさんは教師をして私の生活を支えていたので、選挙では全く顔を出さなかった。支持者の中にはそれが不満で、カミさんは悩んでいた。そこで事務所ではお茶出しなどはするようになったが、それ以上のことはしなかった。退職した後の首長選挙でも、自分の教え子の家庭の名簿も出してくれなかったし、家庭訪問をすることも無かった。

 若い市議たちが、家族総出で一軒一軒を回ったのに、そうしたエネルギーが私たちには無かった。根本的に政治家の必要条件を欠いていたんだと、市議たちを見ていて、そう思った。民主党では鳩山さんや菅さんのカミさんが、街頭に出て候補者の応援をしたそうだ。それがかえって、候補者がかすんでしまうことになり、でしゃばり夫人と書きたてられていた。結果的には彼女たちの夫を思う気持ちが世間を動かしたのかもしれないが。

 年賀状のやり取りはあるが、ここ10年間ほど会うことの無かった友人が個展を行うと連絡が来たので、最終日になってしまったがカミさんと出かけた。丁度、本人が画廊に来ていて、いきなり握手し、喋り捲ってきたのには少々驚いた。彼が言うには、長い付き合いの中で、本当に付き合っていけるという人にだけ案内を送ったこと、フィーリングが合う人間は少ない、というようなことを捲くし立てた。無口な人のように思っていたけれど、こんなにもよく話す人だったんだと感心した。私自身もなぜか気が合う人だと感じていたが、彼は今回の参議院選挙のことから、日本の政治の現状やこれからについても、止まることなく話し続けた。信頼というか、同じ感覚の人のつながりから生まれる一体感のような安心を覚えた。

 久しぶりに名古屋の中心街を歩いて、全く私は古い人間になってしまったと感じた。確かに私も20代の頃は、長髪でひげを伸ばし、年長者から見れば、なんだこいつはという格好をしていたのだと思う。その私が、若い人たちを見るとずいぶんと感覚の違いを感じる。先ほどの市議たちを見ていても、「まだまだ若輩ですから」と言いながらも、堂々としているように私には見える。私が若い頃は、本当に未熟者で自分が頼りない存在だと感じていたが、今の若い人を見ると言葉とは裏腹になぜか自信に満ちているように見えるのはどうしてなのだろう。
コメント
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