goo blog サービス終了のお知らせ 

友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

第4回市民講座「リビングウイル」

2007年07月28日 20時52分34秒 | Weblog
 第4回市民講座「備えあれば憂いなし」を終了し、ヤレヤレというところである。今朝は、印刷屋へ大和塾の機関紙「風」を受け取りに行き、友人にパワーポイントが使える機器を借り、帰ってすぐ8月4日と5日に行われる夏祭りの打ち合わせの会議を行い、そして午後は大和塾の市民講座と忙しかった。これまでの講座への参加者は大体30人台だったから、多くても50人位かと考えていた。ところが、2時から始まるのに、1時半の時点で30人近い人が集まってくれていた。急遽、イスを借りて並べたが、これ以上は入れないという120人の参加があった。

 やはり100人を越すと、マイクが必要であることもよくわかった。「ぴんぴんと生きて、ころりと逝きたい」とチラシに書いたためか、お年寄りが多かった。中にはぴんぴん生きて、ころりと逝ける話が聞けると勘違いして、来た方もあった。いかにして「死ぬか」ということではなく、最後までいかにして自分らしく生きるか、そのために医療現場の先生の話を聞こうという勉強会ですとお話させていただいた。

 講師を引き受けてくださった南生協病院の内科部長・長江浩幸先生は、医療の世界も変化してきていることや、患者の考え方も変ってきていることを話された。しかし同時に、終末医療の難しさが今もある事実と、これを解決していくには私たち自身がどうしたいかにあると言う。私たちは、やはり「死」の話はなんとなく触れたがらない。縁起でもないとか抹香臭いとか言って逃げてしまっている。最後まで自分らしく生きるためには、自分はこういう人生でありたいと周りの人によく話しておく必要がある。話しておくと共に、文章で伝えておく必要がある。

 私自身でいうなら、わがままに生きてしまったので、最後までわがままで生きていたい。一切の延命治療を拒否し、もがき苦しんで人生を全うしたいと思っている。私に、家族も国家も医療費を投入する必要は無い。私自身は充分すぎるくらいにいただいてきた。何一つおかえしすることができなくて恐縮しているくらいだ。私は、たくさんの友だちに恵まれた。カミさんにも子どもたちにも孫にも、甥っ子や姪っ子にも、私には身に余る出会いを仕組んでくださったと、神に感謝している。

 生が自然なものなら、死もまた自然なものだ。すでに63歳まで生きてこられただけでもありがたいと思っている。私は、葬式も要らない。誰にも知らせる必要もない。私がこの世を去ったなら、私が年賀状を送っている人たちに、私が逝ったことを伝えてくれればいい。人はいつしか忘れ去る。それでよい。子はもちろん覚えているだろう。孫もなんとなくこんな人だったと覚えているだろう。人の血のつながりは3代までだ。子どもや孫はまた、それぞれにそれぞれの人生がある。私は私の人生を最後まで生き抜くことが私の使命だと思っている。

 今日のテーマである「リビングウイル」、私の意思を文書で家族に伝えておこうと思う。8月と1月に、私に繋がる者たちが集まる。私はできるだけ、私の知っている父や母や兄の話をするように努めている。顔は知らなくても、父や母や兄がどういう人であったのか、自分に繋がる者について知ることは、自分を知ることにもなるはずだと思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする