友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

風をおくる

2007年07月27日 23時59分43秒 | Weblog
 市民の手による市民のための勉強会「大和塾」の機関誌No1が、出来上がってきた。大和塾は昨年の10月に発足し、3回の市民講座を開催してきた。講座の無い月の例会で、いろいろ話しているうちに、塾生の皆さんから機関誌を発行して広く市民の皆さんに大和塾を知ってもらおうということになり、できたのがこの機関誌だ。明日の第4回市民講座で機関紙が配布できるようになり、事務局としてはホッとしている。

 機関誌の名前は『風』と決まり、題字は塾生の知り合いの玄玄書作院の久保田関山さんにお願いした。久保田さんには、大和塾の活動目的と機関誌名『風』と決まった時のやり取りなどを記した手紙を送って書いてもらったが、とてもよい字が書いていただけたと塾生の皆さんは喜んでいた。題字の『風』は、この市に風を吹かせようという気持ちから名づけられた。風には、そよ風もあれば、突風もあるし、暴風もある。私たちの風がいろんな風を呼ぶようにとの思いから、「風」を選んだ。

 私自身は『報道ステーション』の古舘伊知郎を久米宏以上に評価しているが、古舘の「不自然さ」に気付いたというコラムがあった。コラム氏は「『今の格差社会を』と言う古舘の発言を聞いて、億単位の収入のあるヤツに、格差を論じる資格があるのか。(略)高額所得者に、ニートやフリーター、派遣の気持ちなどが分かるはずがない。なにのに彼らは、まるで自分が低所得者のごとく怒り、仲間意識で政治を批判する。これって、やっぱりどこかおかしい」と書いている。

 このコラム氏は古舘の言うことは信用できないと言いたいのだろうが、古舘が言っている中身については、賛成なのか反対なのか態度を明らかにしていない。コラムを書く人は何よりも自分の立場をハッキリさせるべきだと私は思っている。コラム氏の主張通りなら、低所得者でニートかフリーターでなければ、格差について語れなくなる。いつの時代を考えても、苦しんでいる当事者よりも第三者でありながら当事者意識を持った人々が、社会を変えてきた。私は当事者よりも冷静に事態を見つめることができる第三者は大切な存在だと思っている。

 私たちの大和塾が、そして機関誌『風』が、どれほどのお役に立てるのかはわからないが、少なくとも私たち自身は自分の損得を抜きにして、この市の、この社会の、未来への希望について取り込んでいるつもりだ。人々の中には、それはお前たちの勝手な自己満足だと批判されるかもしれないが、人の言うことに聞く耳がないほど自己主張の強い私たちではない。風を送ろうとするけれど、より強い風によたよたしてしまうかもしれない。それでも、自分の発言に責任を持ち、論争していく覚悟は持っている。

 風 疎竹に来る 風 過ぎて竹に声を留めず
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