友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

映画『僕の初恋を君に捧ぐ』

2009年12月06日 22時24分35秒 | Weblog
 先日は孫娘が体調不良で、映画『僕の初恋を君に捧ぐ』の鑑賞は延期となった。ところが孫娘は先週の金曜日から、今度は鼻詰まりで病院通いとなってしまった。それでも今日は何とか元気なので、「映画を見に行くなら今日しかないよ」と誘ってみた。母親から「勉強しないと希望校へは行けないわよ。分かっているよね」と釘を刺されているので、かなり困惑していたが、もう一緒に行く機会がないと分ると、「ママに叱られちゃう」と心配しながら、同意してくれた。

 確かに孫娘が言うように、映画館には私たち以外には4組の8人しかいない。上映されたばかりの頃に初めてこの映画を見に来た孫娘は、「もっと大きい部屋だったけれど、満員だった」と言う。それが次に、母親らと見に来た時はまばらになってきていたそうだ。「もう、きっと終わってしまう」と言っていたから、私たちとしては母親から叱られても一緒に連れてきたかった。

 私の映画の感想は、孫娘が感動して涙を流したと言うようなことはなかった。以前、孫娘と見た『恋空』の方が泣けた。私は今日も、NHKの「のど自慢」を見ていてずっーと泣きどおしだったから、どちらか言えば涙腺が弱い。「のど自慢なんかで泣くの?」と不思議がる人もいるけれど、出てくる人にはドラマがあり、その歌には秘話があり、それを思うと自然に涙がこぼれてしまう。

 でも、『僕の初恋を君に捧ぐ』は全然泣けなかった。孫娘には悪いけれど、井上真央さんが扮する女の子の一途な愛がテーマなのだけれど、性格の悪い自分勝手な女としか私には見えなかった。むしろ相手役の岡田君が扮する男の子の方が、あるいは井上真央さんを「姫!」と呼ぶ男の方が、周囲に気を遣い思いやりもある。原作はマンガで、そのストーリーは映画とは違うようだけれど、映画はラブストーリーを強調する余りなにかも知れないが、現実味に欠けていた。

 映画で考えさせられたのは、臓器移植の問題だ。岡田君の扮する男の子は心臓が悪くて、移植しか助かる方法はない。いったんは脳死状態の人から心臓を提供されるところまできたけれど、脳死であっても涙が流れたり、わずかに指先が動いたりするのを見た家族は心臓の提供を断る。絶対に奇跡が起こらないとはいえない。たとえ何億分の1の可能性であっても、家族なら奇跡を信じたいだろう。

 逆に、その心臓が移植されれば助かるのなら、何としてでもその心臓を欲しいと思うのも当然だろう。でもこの問題は卵が先かニワトリが先かではない。心臓を移植すれば助かるところまで来てしまった医学が元凶だと私は思っている。そんな医術が生まれなかったなら、誰も臓器の提供を望むことはなかったはずだ。悲しいけれど、不治の病として泣きながら医者を恨んで死を受け入れたであろう。臓器移植が美談のように取り上げられるけれど、本当は不治の病があり、死があることを受け入れることの方が大事だと思う。

 女の子は男の子が死んだら自分も死ぬと言っていたので、死を目の前にして半狂乱になって飛び降り自殺でもするのかと思ったが、そうしなかった。そればかりか彼女は遺骨の入った臺を持って結婚式を行なっている。そんな風に永遠の愛を誓っていいのかと思った。一時は彼のことが忘れられないかもしれないが、残念ながら人間は忘れやすい。また彼女のことを愛してくれる人が現れることだってある。生きているのなら、死んだ男の子のためにも、恋愛したり結婚したりして欲しいと思った。

 明日はNPO「おたすけ」の忘年会。1泊で出かけるので休みます。
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