友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人はいつも決めている

2009年12月15日 18時49分38秒 | Weblog
 生協のパンフレットに、葬儀や墓の広告が載っていた。とうとうここまで来たか。生協の病院は「親切でいい」と聞いたことがあったし、大和塾でも「終末医療について」講演してもらったことがあり、ユニークな病院経営をしていると思ったが、まさか葬儀や墓まで事業を伸ばしてくるとは思わなかった。生協と言えば生活共同組合だから、本当に安心して食べられる食品を提供している「生活者の味方」と思っていたけれど、最近ではまるで株式会社のように販売範囲を広げている。

 私たちはNPO「おたすけ」を立ち上げ、まちづくりと地域防災に貢献しようと活動しているが、現実はなかなか活発にというわけにはいかない。町づくりの方は地域で行なわれる祭りなどのイベントで、昔懐かしいポン菓子や綿菓子を子どもたちに有料で提供することが主だけれど、そんなにいつも行事があるわけではない。地域防災の方は、地震対策の1つとして井戸掘りを行なっているけれど、これも掘れば必ず水が出るというわけではないので苦労している。

 何時だったか、今の葬儀は家族の求めるようなものではなく、葬儀屋の言いなりになっている、遺族が納得できる葬儀をNPO「おたすけ」でやったらどうか、そんな話が話題になったことがあった。そのうちにだんだんと葬儀の形も変わってきて、家族葬で50万円とか40万円と提示するチラシも出てきた。葬儀屋が提示していた200万円とか150万円とは桁違いの金額である。今、私たちのNPO「おたすけ」の話題はドジョウの養殖だけれど、場所のことやエサやその後の管理やらを考えると、葬儀の方がまだ取り組み易いと思う。

 私たちのNPOは生活のためというよりは、「それは面白いね。しかも人の役に立つのだからやろうよ」という気軽な発想で動いている。だから決して大金を注ぎ込まない。自分たちの持っている経験と知識と小遣いしか投入しない。自然と親しんで仕事をするので、むやみに動力は使わない。きわめて原始的な作業を得意としている。とはいえ、本来ならもっと機械を使ってやれば楽に確実に出来るのになあと思うことは度々ある。それを押さえて人が持っている本来の力だけでやることに意義を感じている。とまあ、強がっている。

 映画『おくりびと』の脚本を書いた人へのインタビューをテレビでチラッと見たが、その人のお父さんが「人間はいつも決断している。決断した結果、今は不幸かも知れないが、それは次の幸せのためのものだ」と言っていたそうだ。言葉は違っているかも知れないが、私はそんな風に受け止めた。そう、いいこと言うね。私と同じ考えの人だと思って聞いた。

 人は何も決めていないように見えるけれど、いつも決めている。トイレに行くとかいうことも自然現象だけれど、ここで行こうと自分で決めている。行かないとかやらないとかも自分が決めたことだ。決めた結果が現在である。今、こうしてあるのは自分が決めた結果の積み重ねだ。だから、今は最高!今日は最高である。明日はもっと素敵な日になるはずだ。もし、今、ちょっと悲しいなら、明日のために手直しすればいい。自分の力ではどうにもならないことはいくらでもある。雨が降る。風が吹く。人が亡くなる。どうしようもないことにこだわるより、自分の選択を考える、私はそう思っている。
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