友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

苛立つことが多くなった

2009年12月28日 18時04分55秒 | Weblog
 年賀状は昨日の午前中に書き上げたので、午後には投函できた。今朝、カミさんが「病院に送っていって欲しい」と言う。先日、大腸ポリープの切除手術を受けたのでその結果を聞きに行くというのである。カミさんを病院で降ろし、私はその足で郵便局へ向かった。バンコクに住む次女夫婦へ、お餅や乾物やら目薬や胃腸薬など頼まれた品々を送るためだ。ところが今日は大変混んでいた。私はいつものように用紙に記入して、重い荷物を両手で抱えて、順番を待った。

 前方を見ると、初めてやってきたのか足の悪いおじいさんがズウーと窓口の隣で立っている。窓口ではそのおじいさんよりは幾分若いお年寄りが長い時間なんだかんだとやっている。たまりかねたのか、そのおじいさんが「まだ、かかるかね」と声をかけた。するとそのお年寄りは「私の言うことじゃあないけど、そこに並んでいてもダメですよ。ちゃんと後に並ばなきゃー」と言う。私は親切でそう言っているのかと思ったけれど、「見て分るでしょ。常識ではないですか」と吐き捨てるように言った言葉が聞こえてきたので、このお年寄りも虫の居所が悪いようだと分った。

 おじいさんはきっと「年寄りだと思ってバカにするな」と怒鳴るだろうと思ったが、「こんなに後に並ばないかんのか」と、独り言を吐きながら、左足を引きずるようにほんの少しずつ移動し始めた。私の前まで来た時、「どうぞ、ここに並びなさい」と前を空けてあげるつもりでいたが、なぜか声が出なかった。私の後にもたくさんの人が順番を待っている。親切でそう言ってもそれを理解しない人もいるだろう。おじいさんには申し訳ないけれど、並んでもらうより仕方がない。

 私の順番が来て、箱と用紙を差し出すと、「foodではなくて、何かを細かく書いてください」と職員は言う。私はおじいさんに順番を譲れなかったことで気落ちしていたから、ムカッとなって、「没収されてもかまいませんので、このまま送ってください」と言ってしまった。親が子に日常の生活用品を送るのに、何が悪い、そう思ったのは私だが、職員にしてみれば、「キチンと書かれていないと中身を調べられ、長時間かかることがあります。お客様にご迷惑をおかけするわけには参りません」という親切心から言っている。ところが私は、私自身を含めて、これ以上後の人をイライラさせたくなかった。

 どうも近頃、怒りっぽくなったり物悲しくなったりすることが多い。明日はカミさんの実家へ出かけるので、何か手土産を買いに行きたいと言うので一緒に出かけた。ところが一向に決まらない。同じ売り場をウロウロ回るばかりだ。「これにしたら」と言っても動かない。「じゃあ、こっちにしよう」と言っても動かない。「そんなに悩むならば、僕は歩いて帰るから、ゆっくり考えれば」と車のキーを渡すと、「うーん、お茶でも飲んでからにしよう」と言うので、「お茶よりも思考停止にはぜんざいがいいよ」とぜんざいを注文する。

 結局、最初に行ったところで買い物をすることになった。「どうして、何でもいいのに」と言うと、「これは店の店長が勧めてくれたとか、広げた時に話ができるものでなくては意味がない」とおっしゃる。「いいじゃない、それなら、1時間も悩んで買ったのと話せば話題作りなるよ」と答える。心を込めた品であれば、自分から話を作ることはできるはずだ。
コメント
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