65歳の友だちのブログを見ていると、最近は特に切ないね。小学校の友だちは自分が描いた花の絵をブログに載せているのだが、9月から全く更新されていない。高校の同級生の一人も余りに長い間、更新されていなかったので、削除してしまったが、どうしているのだろうか?今度会ったら聞いてみたい。年賀状も毎年どうしようかと迷う。昭和45年の年賀状は「雲と犬と箱」を描いたものだったけれど、この年の1月29日に長女が生まれたので、翌年の年賀状は這っている赤ん坊と私たち夫婦の3人家族を漫画風に描いた。以来ずっと、家族のイラストを年賀状に載せてきた。
長女が嫁ぎ、次女と私たち夫婦の3人のイラストが続き、長女に女の子が産まれ、長女夫婦がマンションの隣に引っ越してきたので、私たち夫婦と次女と孫娘と4人のイラストになった。けれども次女も結婚し、孫娘を私たち夫婦と一緒に描くこともおかしなことなので、そのうちに夫婦ふたりだけのイラストになった。夫婦だけになると誠に変化がない。子どもは1年毎に大きく変わるから絵になるけれど、頭が白くなり、皺ばかり増えるジジババでは何とも面白味がない。描きようもない。そこで来年、2010年・平成22年の年賀状は1970年・昭和45年の年賀状のスタイルに戻すことにした。
漫画風がよかったのに、子どもたちが大きくなるにつれ、「私はこんなんじゃない」ともっとリアルに描くように求められ、だんだん漫画風のよさがなくなってしまった。写実的な人物を描こうとするとハガキの大きさでは描きにくいしと苦労したけれど、家族が夫婦だけになってしまうとたとえ漫画風に描いたとしても、もっと大変で、昨年と今年はどこが違うのか、違いを出すために皺を描き込めば、「こんなにおばあさんではない」と叱られる。40年間、喪中で出さなかった時もあるが、それでも40枚近くの作品(?)を描いたことになる。
年賀状のもう一つの問題は、年賀の挨拶だけになっているものをどうやって減らしていくかである。別にそんなことは考えなくても、出すだけでいいのではないのか、そうも考えられるし、私が悩んでいるように相手も悩んでいるのであれば、もう打ち切ってもいいのではないだろうか、そう思って、「今年の年賀状で最後とさせていただきます」と書き添えたものもあった。こんな風にして少しずつ減らしていくか、それとも‥‥。70歳を迎えたら、もちろんそれまで生きていたらの話であるが、この年をもって賀状はやめようかとも思っている。
などと、先の話などしても始まらない。そんなことよりも押入れや書棚や引き出しの中の、決して見もしないであろう昔のもの、父親の遺品さえもまだ押入れに押し込められたままになっている、そういうガラクタの整理をぼちぼちやっていかなくてはならないだろう。楽しかったことや思い出深いものなど、自分にしか意味がなく、そして分らないものを整理する必要がある。そう考えると、残しておくものは何もないようだ。
長女が嫁ぎ、次女と私たち夫婦の3人のイラストが続き、長女に女の子が産まれ、長女夫婦がマンションの隣に引っ越してきたので、私たち夫婦と次女と孫娘と4人のイラストになった。けれども次女も結婚し、孫娘を私たち夫婦と一緒に描くこともおかしなことなので、そのうちに夫婦ふたりだけのイラストになった。夫婦だけになると誠に変化がない。子どもは1年毎に大きく変わるから絵になるけれど、頭が白くなり、皺ばかり増えるジジババでは何とも面白味がない。描きようもない。そこで来年、2010年・平成22年の年賀状は1970年・昭和45年の年賀状のスタイルに戻すことにした。
漫画風がよかったのに、子どもたちが大きくなるにつれ、「私はこんなんじゃない」ともっとリアルに描くように求められ、だんだん漫画風のよさがなくなってしまった。写実的な人物を描こうとするとハガキの大きさでは描きにくいしと苦労したけれど、家族が夫婦だけになってしまうとたとえ漫画風に描いたとしても、もっと大変で、昨年と今年はどこが違うのか、違いを出すために皺を描き込めば、「こんなにおばあさんではない」と叱られる。40年間、喪中で出さなかった時もあるが、それでも40枚近くの作品(?)を描いたことになる。
年賀状のもう一つの問題は、年賀の挨拶だけになっているものをどうやって減らしていくかである。別にそんなことは考えなくても、出すだけでいいのではないのか、そうも考えられるし、私が悩んでいるように相手も悩んでいるのであれば、もう打ち切ってもいいのではないだろうか、そう思って、「今年の年賀状で最後とさせていただきます」と書き添えたものもあった。こんな風にして少しずつ減らしていくか、それとも‥‥。70歳を迎えたら、もちろんそれまで生きていたらの話であるが、この年をもって賀状はやめようかとも思っている。
などと、先の話などしても始まらない。そんなことよりも押入れや書棚や引き出しの中の、決して見もしないであろう昔のもの、父親の遺品さえもまだ押入れに押し込められたままになっている、そういうガラクタの整理をぼちぼちやっていかなくてはならないだろう。楽しかったことや思い出深いものなど、自分にしか意味がなく、そして分らないものを整理する必要がある。そう考えると、残しておくものは何もないようだ。