私の兄弟は姉、兄がふたり、妹の5人だけれど、すでに兄はふたりとも亡くなっている。すぐ上の兄は生まれて1年足らずでこの世を去った。長兄と私は14歳の年齢差があるので、可愛がってもらった。英語が得意な兄に連れられて、進駐軍の将校らが住む家に行った記憶がある。多分、兄が高校生だったから私はまだ3歳くらいだったのだろう。その兄も40代で寝たきりとなり、50代で亡くなった。
カミさんは長女で、下に弟と妹がいる。私の両親は私が高校生の時に相次いで亡くなった。カミさんの両親は共に72歳まで生きて亡くなった。10歳違いであったけれど、亡くなった時は同じ歳だった。カミさんの弟が後を継ぎ、そう言っても、義父は警察官だったから、その勤め上げたお金で土地を買い家を建てたので、その土地を受け継ぎ家を建て直した。義父は賢い少年であったけれど、家は貧しく、小学校を出るとすぐに丁稚となって働いた。そんな話を繰り返し聞いた。
弟が後を継いで、家が新しくなって、再び家に姉妹を呼ぶようになった。毎年暮れに集まり、旅行に行ってきた話や弟がやっているゲートボールや老人会の話を聞く。義父も飲むと話し好きな人であったけれど、その父親にそっくりになってきた弟も話好きだ。無口であまり人と話すのが得意ではないように思っていたが、今、この歳になってみると随分と間違っていたことに気が付く。
私もそうだけれど、60歳を過ぎたばかりで、地域のゲートボールクラブや老人会に入る人はまずいない。ところが彼はゲートボールクラブに入り、誰よりも早くグランドへ行ってみんなが来る前に整備をするそうだ。老人会の役員も引き受け、皆さんと旅行にも出かけている。彼は大学を卒業し小学校の先生となったけれど、どういう理由かは分らないが、職員旅行や親睦会には参加しなくて、義母が「どうしたらいいか?」とこぼしていた。私は、弟は人と付き合うのが好きではないのだろうと思っていたけれど、それは間違いだった。
ある時、お酒を飲みながら話していた時に、弟は「自分は早稲田へ行きたかった」と言う。「早稲田の政経に行って新聞記者になりたかった」。そんな話をしていた。カミさんの話では東京の大学を何校か受けたけれど、全部失敗して不貞寝をしていた。元来心の優しい子なので、このままではダメになってしまうと思い、とにかく教育大を受けるようにと尻を叩いた。それで、弟は浪人してでも早稲田を受けたいと思っていたのに、無理やり姉に教員の道を歩かされた。そんなことを話していた。
そうだったのか。新聞記者になりたかったのか。私とは2つ違いだけれど、そんなに真剣に話し合ったことのなかった弟にそんな思いがあったことをその時初めて知った。義母の兄弟はもう妹である叔母しかいない。その叔母が結婚したのは26歳だったと聞いた。義母が20歳で結婚したのとは大違いであるが、その理由を今日、聞くことができた。弟が「こうしてみんなが集まってきて話す、それがいいことなのだ」と言っていた。
カミさんは長女で、下に弟と妹がいる。私の両親は私が高校生の時に相次いで亡くなった。カミさんの両親は共に72歳まで生きて亡くなった。10歳違いであったけれど、亡くなった時は同じ歳だった。カミさんの弟が後を継ぎ、そう言っても、義父は警察官だったから、その勤め上げたお金で土地を買い家を建てたので、その土地を受け継ぎ家を建て直した。義父は賢い少年であったけれど、家は貧しく、小学校を出るとすぐに丁稚となって働いた。そんな話を繰り返し聞いた。
弟が後を継いで、家が新しくなって、再び家に姉妹を呼ぶようになった。毎年暮れに集まり、旅行に行ってきた話や弟がやっているゲートボールや老人会の話を聞く。義父も飲むと話し好きな人であったけれど、その父親にそっくりになってきた弟も話好きだ。無口であまり人と話すのが得意ではないように思っていたが、今、この歳になってみると随分と間違っていたことに気が付く。
私もそうだけれど、60歳を過ぎたばかりで、地域のゲートボールクラブや老人会に入る人はまずいない。ところが彼はゲートボールクラブに入り、誰よりも早くグランドへ行ってみんなが来る前に整備をするそうだ。老人会の役員も引き受け、皆さんと旅行にも出かけている。彼は大学を卒業し小学校の先生となったけれど、どういう理由かは分らないが、職員旅行や親睦会には参加しなくて、義母が「どうしたらいいか?」とこぼしていた。私は、弟は人と付き合うのが好きではないのだろうと思っていたけれど、それは間違いだった。
ある時、お酒を飲みながら話していた時に、弟は「自分は早稲田へ行きたかった」と言う。「早稲田の政経に行って新聞記者になりたかった」。そんな話をしていた。カミさんの話では東京の大学を何校か受けたけれど、全部失敗して不貞寝をしていた。元来心の優しい子なので、このままではダメになってしまうと思い、とにかく教育大を受けるようにと尻を叩いた。それで、弟は浪人してでも早稲田を受けたいと思っていたのに、無理やり姉に教員の道を歩かされた。そんなことを話していた。
そうだったのか。新聞記者になりたかったのか。私とは2つ違いだけれど、そんなに真剣に話し合ったことのなかった弟にそんな思いがあったことをその時初めて知った。義母の兄弟はもう妹である叔母しかいない。その叔母が結婚したのは26歳だったと聞いた。義母が20歳で結婚したのとは大違いであるが、その理由を今日、聞くことができた。弟が「こうしてみんなが集まってきて話す、それがいいことなのだ」と言っていた。