友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

今晩は我が家でクリスマス会です

2009年12月24日 18時29分22秒 | Weblog
 クリスマスイヴである。昨夜、『無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク』の皆さんと忘年会を駅前で行なったが、久しぶりに12月のこんな夜に賑やかなところに来た。若い男女がたくさんいた。どの人たちも楽しそうだった。昔はヨッパライが騒いでいたりしたが、そんな光景は見なかった。居酒屋の中も、おしゃべりがワイワイと聞こえてくるが、気分が悪くなるような悪酔い姿はなかった。私たちは1次会では収まらず、2次会へと足を運んだ。話しても話し尽きない気持ちのよい人たちに出会えてよかったとつくづく思った。

 さて、今晩は我が家に長女夫婦がやってくる。家族での「クリスマス会」である。上等のシャンパンとワインを用意し、ローストチキンも2羽大皿に盛り付けるばかりだ。これは私の役目になっている。お正月やひな祭りや誕生祝など、できる限りみんなで集まって盛大にやるように務めてきた。家族の絆とか血縁の結束とかいった大げさなものではなく、家ではこんな風にしてきたと子どもたちが受け継いでくれたらいいと思っている。

 私はカミさんの実家へ行くのが好きだった。お母さんの料理が腹いっぱいに食べられる、それも喜びであったことは間違いないが、家族がたくさんいるのが嬉しかった。私の育った家も、祖父母、父母、兄夫婦とそのふたりの子ども、そして私と妹の10人家族だった。でも、カミさんの実家のようにワイワイみんながしゃべることはなかった。祖父は私たちより先に食卓につき、一人でお酒を飲んでいた。祖父のお酒が終わる頃、みんなが食卓につきそれから食事になるが、余り会話を聞いた記憶がない。特に祖父と父は仲が悪かった。やがて、父母と私と妹は祖父たちとは別に食事をするようになった。

 カミさんの実家では、みんなでビールを飲み、ワイワイとおしゃべりをしながら食事をする。お父さんとは生きてきた世界が違うから何を話したらよいのか困ったけれど、そう察していたのかお父さんがもっぱら話し、私は聞き役だった。お父さんの時代は大変だったから、おそらくたくさん困難なことがあったのだろうけれど、立身出世を夢見ながら頑張ってきたことをいつも熱く語った。カミさんよりもお父さんの履歴を覚えてしまったくらいだ。

 お父さんにしてみれば、優秀なわが子をくれてやったのに、私が組合運動をやる赤だったばかりか命までも落としかけた危険人物とは驚いたことだろう。ガッカリしたと思う。病院に見舞いに来てくれた時、義弟に「お前は知っていたのか?」と聞いていたのを耳にした。けれど、お父さんは私を一度も怒りも非難もしなかった。何とか、長女の婿を誇りに思ってもらえるような存在になりたいと思ったけれど、どう思ってみえたのだろう。生きてきた時代が違い、共有するものはなかったけれど、私は私なりにカミさんのお父さんを理解し尊敬もしている。

 親子は年代の差があるから、価値観も生き方も違う。お互いが理解し合うなどということはないのかもしれない。それは仕方がないことだと思うけれど、相手を知ろうとする努力は必要だろう。カミさんのお父さんがしてくれたように、婿さんにひたすら話す以外にはないのかな。
コメント
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