友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

今日は何が食べられるかな?

2009年12月12日 17時53分32秒 | Weblog
 今日は久しぶりに、我が家で誕生日会を行ないます。会場作りは私の係りで、いつもならうまく段取りができなくなってきて、「本当にあなたは勝手なのだから」と、何が何だかわからないうちに怒られているところなのですが、今日は昼から、高校からの友だちが『地球温暖化を防止するために』と題する講演会を開くと案内を送ってきたので、ガミガミ言われないうちに会場作りを仕上げてしまいました。

 12月の誕生日会はこのところ、1泊旅行が多かったけれど、誕生日の人の家族にご不幸があったので、旅行を取りやめ、いつもどおりの2品持ち寄りのホームパーティーとなったのです。それぞれが腕を振るって持ち寄る品はバラエティーに富んでいて楽しみです。自分の家の料理となると意外に同じようなものが並んでしまうけれど、なぜかヨソの人の作るものは美味しい。「隣の芝生」現象なのだろうけれど、だからたまには今日のように、それぞれの家庭料理を持ち寄って、お酒を飲みながらワイワイやるのは本当に楽しい。

 何時だったか新聞の悩み事相談で、妹が「兄がかわいそうだ」と投書を読みました。兄はよく働く人で、苦労に苦労を重ねて事業を始め、大きくしたのに亡くなってしまいました。夫婦仲はよくなくて、義姉は体調が悪いと通夜にも来ません。義姉の兄に当たる人が兄の財産を管理してしまい、形見分けすらもらえません。これでは兄がかわいそうだといった内容でした。回答者は「お義姉さんもお兄さんも苦労されたのでしょう。あなたはお兄さんがかわいそうと言うけれど、夫婦仲が悪かったならお義姉さんも不幸だったのです」と答えていました。

 人はどうしても一方からの見方になってしまいます。この妹は兄が亡くなったことで悲しみ、それに加えて、形見分けすらもらえなかったことで、義姉とその血筋の人たちに憎しみを抱いているようです。けれども義姉は想像以上の辛苦を舐めてきたかもしれない。兄の財産づくりは義姉のおかげなのかもしれない。本当のことは分らないけれど、妹には兄は良くて義姉は悪いとしか見ることが出来ないのは、兄の財産への欲があるからでしょう。

 作家の車谷長吉さんはこんなことを書いました。「私がいつも思うことは、人間としてこの世に生まれてきたのは不幸なことだな、ということです。世のほとんどの人はそう自覚していませんが、実際に世の中を横から見たら、幸福な人は極めて少ないと思います。何一つ不足・不幸がないように見える人でも、一歩内側に招き入れられると、不幸を黙って耐えている人がたくさんいます。そのたびに、私は深く驚き、黙って耐えているその人に、深い敬意を覚えます」。

 車谷さんが言うほど、不幸な人ばかりだとは思いませんが、この世に生まれてきたことは不幸なことかもしれません。それでも私たちは生きていますし、生きていることは不幸もあるけれども喜びも大きいからだと思います。そんなわけで、馬鹿話で大いに笑い、美味しいご馳走に待っている時間がやってきます。今日は何が食べられるのかな?楽しみです。
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