オバマ米大統領にノーベルは平和賞のメダルと賞金1億2千万円が贈られた。アメリカのCNNテレビの世論調査では、「受賞に値する」と答えた人は19%に過ぎないそうだ。確かに「核兵器のない世界を目指す」と演説しただけで、具体的な提案も行動もしていないのだから、こんな厳しい結果であっても不思議ではない。私は世界の警察を自称する国家の大統領が「核兵器のない世界を目指す」と演説したこと事態は評価している。
けれども、オバマ大統領を平和主義者とは思っていない。オバマ大統領は受賞演説で「かつてこの場でキング牧師は“暴力は決して永続する平和をもたらさない”と語ったが、私は自国を守る国家元首として、米国民への脅威を何もせず見ているわけにはいかない。戦争は平和を保つ上で、役割を持っている。その戦争はいかに正当化されようと間違いなく人間に悲劇をもたらすことも真実だが、人道的見地からの武力の行使は正当化されうると信じている」と述べている。これはただ、イラクやアフガニスタンへの派兵を正当化しているに過ぎない。
「抑圧が常に存在し続けることを認めながらも、正義を追求することはできる。退廃が御しがたいことを認めながらも、尊厳を追求することができる。戦争があり続けることを理解しつつ、平和を追求することができる。我々にはそれができる。なぜなら、それこそが人間の進歩の物語であるからだ。それこそが、全世界の希望であるからだ」と演説の最後に結んでいる。CAN〈できる〉とオバマ流演説の聞かせどころだ。しかし今、世界の人々は、「だから、あなたはどうするのか?」と問うているのだ。授賞式の会場周辺では数千人の人々が抗議行動を計画しているとも報道されていた。
英語の苦手な私でもオバマ米大統領の演説はうまいと思うし、聴きやすいとも感じる。けれども、大統領になる前あるいは就任式の演説に比べるとなぜか色あせた感じがして、手放しで受け入れられない。「核のない世界」を口にするその一方で、テロとの戦いのため(?)にアフガン派兵を増員する考えが、私には理解できない。イラクでは爆発事件が起きているけれど、石油の採掘権を手に入れたので撤退すると言うのだろうか。それでは派兵される兵士はどこにどんな希望が持てるのだろう。
今日は大和塾の納会だった。いろいろ出た話の中で、戦争のことが話題になった時、あれだけ玉砕と叫びながら、どうして叫んだ本人は「いや、自分は戦争はしたくなかった」などと言えたのだろうか、不思議でならないと言う人がいた。民主党の小沢一郎幹事長は、西洋のキリスト教は排他的だけれど仏教は寛容だというようなことを言っていたけれど、どうも日本人は他人にも自分にも甘すぎるようだ。自分の「言葉に責任を持つ」厳しさが私たちには必要だ。
そんなに意固地にならなくてもとか、スジを通せばカドが立つとか、まあーるく、まあーるく治めようとしてしまうから、本質が見えなくなってしまう。けれども、我を張れば嫌われる。困ったものだ。
けれども、オバマ大統領を平和主義者とは思っていない。オバマ大統領は受賞演説で「かつてこの場でキング牧師は“暴力は決して永続する平和をもたらさない”と語ったが、私は自国を守る国家元首として、米国民への脅威を何もせず見ているわけにはいかない。戦争は平和を保つ上で、役割を持っている。その戦争はいかに正当化されようと間違いなく人間に悲劇をもたらすことも真実だが、人道的見地からの武力の行使は正当化されうると信じている」と述べている。これはただ、イラクやアフガニスタンへの派兵を正当化しているに過ぎない。
「抑圧が常に存在し続けることを認めながらも、正義を追求することはできる。退廃が御しがたいことを認めながらも、尊厳を追求することができる。戦争があり続けることを理解しつつ、平和を追求することができる。我々にはそれができる。なぜなら、それこそが人間の進歩の物語であるからだ。それこそが、全世界の希望であるからだ」と演説の最後に結んでいる。CAN〈できる〉とオバマ流演説の聞かせどころだ。しかし今、世界の人々は、「だから、あなたはどうするのか?」と問うているのだ。授賞式の会場周辺では数千人の人々が抗議行動を計画しているとも報道されていた。
英語の苦手な私でもオバマ米大統領の演説はうまいと思うし、聴きやすいとも感じる。けれども、大統領になる前あるいは就任式の演説に比べるとなぜか色あせた感じがして、手放しで受け入れられない。「核のない世界」を口にするその一方で、テロとの戦いのため(?)にアフガン派兵を増員する考えが、私には理解できない。イラクでは爆発事件が起きているけれど、石油の採掘権を手に入れたので撤退すると言うのだろうか。それでは派兵される兵士はどこにどんな希望が持てるのだろう。
今日は大和塾の納会だった。いろいろ出た話の中で、戦争のことが話題になった時、あれだけ玉砕と叫びながら、どうして叫んだ本人は「いや、自分は戦争はしたくなかった」などと言えたのだろうか、不思議でならないと言う人がいた。民主党の小沢一郎幹事長は、西洋のキリスト教は排他的だけれど仏教は寛容だというようなことを言っていたけれど、どうも日本人は他人にも自分にも甘すぎるようだ。自分の「言葉に責任を持つ」厳しさが私たちには必要だ。
そんなに意固地にならなくてもとか、スジを通せばカドが立つとか、まあーるく、まあーるく治めようとしてしまうから、本質が見えなくなってしまう。けれども、我を張れば嫌われる。困ったものだ。