友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

忘年会が明けて

2009年12月08日 18時40分11秒 | Weblog
 ちょっと疲れた。大いに食べしゃべり、そして飲みすぎた。それに4人で寝たけれど、うるさくて眠れなかった。まあ、それはどうでもいいことだけれど、今日は、先日の胸のCT検査の結果を言い渡される日だったので、一足先に帰って来たが、皆さんが無事に帰ってこられたのかと心配している。なにしろ昨夜のNPO「おたすけ」の忘年会では、来年に取り組むべき課題について、大いに盛り上がったから、無事に帰ってきてくれなくては希望がなくなってしまう。

 さて、診断は「異常はありません」ということだった。私の前に診断を受けた人も私と同じようにレントゲンで要精密検査とされ、CT検査を受けた人であったが、異常なしとの診断だった。彼は私の結果を聞いて、「お互いによかったね」とホッとした顔で言う。「そうね、でも、ちょっとガッカリした。肺がんと宣告されて、『いよいよか』というストーリーを描いていたので」と私が言い、ふたりで少し笑った。「何が宣告されてもいい歳だもんね。60年も70年も経てば当然どこか痛んできて当たり前だもん」と彼は言う。

 午後に、来年の選挙に立候補したいという人が訪ねて来た。昔、よく話したことがあるし、個人的にお酒を飲んだことはないけれど、仕事の付き合いでは何度かある。頭は良いし、真面目で、いろいろと思いつくアイディアマンである。欠点は策を考えすぎることと慎重になりすぎることだ。市長選挙に出るというウワサだったけれど、市議選挙だと言う。「なぜ、出るの?」と聞けば、「推されて出ることになった」と言う。「じゃあ、旧来型の選挙をするわけだ」と言えば、「無党派層を取り込めたい」と言う。「それは無理だよ。あなたを推してくれている人たちが、そういう選挙を許すの?だから、あなたがどういう議員になりたいのか、そしてどういう選挙をしたいのか、それを決めないことには前には進まないよ」と私が答えると、「それしかないですよね」と力なく言う。

 今朝、病院の帰りに会った人から「もう選挙には出ないの?ここらで変えてもらわんといかんよ」と声をかけられた。そう言ってくださることはありがたいけれど、4年前は現市長の応援団だった人にそう言われてもなあーと思いつつも、「ごめんなさい。出ません。もっと若い人にやってもらいたいです」と言えば、「まだまだ若いのに、本当はやってくれるといいのに」と言う。選挙が近くなるといろんな動きがある。午後に我が家へやってきた人に、「首長選挙ではないの?」と聞くとその人は「もう、歳ですから。首長は50歳前後でなければやりきれないですよ」と言うので、今朝ほどのやり取りを思い出した。

 首長選挙は歳だから出ないけれど、議員選挙ならという発想も、何がしたいからという明確な目的がないためなのだろうか。「よろしくお願いします」と帰り際に言うから、「私にどうして欲しいのか、決めてくれないと、私も返事のしようがないよ」と答えた。旧来型の選挙をする人を私は応援できないから。
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