愛知県美術館で開催中の展覧会『これからの写真』が話題になっている。男性の性器が映っている作品を愛知県警が「わいせつ物の陳列に当たる」と撤去を要請したという。それも住所・氏名の無い匿名の通報があり、県警は美術館に作品を展示しないように指導した。このため、美術館側と作者は作品を布で覆って展示しているという。ネットで見ると確かに身体半分が布で覆われているけれど、なぜかその方が卑猥な感じがするから不思議だ。
以前あった生ゴミの展示よりも作品としては優れていると思うけれど、芸術活動に警察が介入することの方が問題だ。美術館は鑑賞したい人が訪れるところ、そこに何が展示されていても、価値を判断するのは鑑賞者である。私はたとえ路上で展示してあっても規制すべきではないと思うけれど、百歩譲って、美術館で展示する限り美術館が責任を持って、「介入させない」考えに立つべきだと思う。
さいたま市の公民館で、「公民館たより」に載せる俳句クラブの作品をボツにした事件があった。ボツとなった作品は「梅雨空に 九条まもれの 女性デモ」で、これは政治的だからダメというのが理由だった。私にはダメという考えの方が極めて政治的だと思うけれど、公民館の館長もさいたま市長も「正しい判断」と言う。そんな狂った判断をする人を市長にいただいている現実が恐ろしい。
狂っているのは、朝日新聞も同罪である。朝日新聞は8月28日、「週刊文春」の広告を掲載拒否した。言論の自由を守らなければならない新聞社が、自分のところに都合が悪い記事があるからと、掲載を拒否するのは愛知県美術館やさいたま市と同じである。表現は全て自由でなければならない。子どもに悪いとか、偏っているとか、エロだグロだと、人は全て権力に規制を求めるが、それは自分の首を縛ることだ。受け入れるか否か、判断する目を身に付けるべきで、統制することではない。