友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

お土産の栗きんとん

2014年09月22日 18時06分12秒 | Weblog

 名古屋から帰ると、マンションの入り口で女の子がふたり座り込んでいた。友だちの小学校3年生の孫娘とその友だちで、「あっ、知らないおじさんだ」と声をかけてきた。私も「知らない女の子だ」と言い返す。目敏く私の手荷物を見つけて、「それなーに?」と聞く。「お土産の栗きんとん」と答えると、「食べたい」と言う。いやだとは言えないから、「オバサンに見せてからだよ。後でおいで」と言ってしまった。

 家に帰ると、オバサンはいない。子どもたちが来てもいいように、お茶を沸かしておく。しばらくすると二人がやって来た。友だちの孫娘は何度も我が家に来たことはあるけれど、もうひとりの女の子は先ほど話したばかりだ。玄関の入り口で、「私はここでいいです」と言う。なかなかわきまえている。「ああ、いいよ。オバサンはいなかったけど、おじさんが用意してあげるから入っておいで」と招くと、「本当にいいですか?」と心配そうだ。

 いくら友だちの知り合いの家でも、自分は始めてであり、女の子を持った父親としてはやはり警戒心を持って欲しい。二人は玄関で履いて来た靴をキチンとそろえて、「お邪魔します」と言う。客間にしている私の部屋に通すと、書棚を見てビックリするが、それよりもルーフバルコニーの鉢の数にビックリする。「広いね」と女の子が言うと、友だちの孫娘は「学校も見えるよ」と教える。「靴を持って来て、出てもいいよ」と指示すると、二人は「キャー、キャー」言いながら、ルーフバルコニーを走り回り、鼓笛隊の練習を眺めていた。

 「はーい、お茶が入りましたよ」。栗きんとんを七宝焼きの小皿に載せて出す。「これ、お客さん用ですか?」と聞くので、「そうだよ。だってお客さんでしょう」と答えると、二人は目を合わせて笑った。女の子は小学校の1年の時に大阪から引っ越してきたようで、「しんどいことをエライいうて、わからへん」と、名古屋の方言に戸惑ったと話す。友だちの孫娘は活発な子だけど、少しボーとしたところもありすぐに仲良しになったようだ。

 二人の話を聞いていたら、何やらすぐに叩く子がいるようだ。「何歳って言うから、8歳って答えたら、80回叩かれた」。それはもう遊びではなく、暴力だ。お母さんは知っているのだろうか?と心配になる。小学校3年生、そういう年頃なのかな。栗きんとんを美味しいと言ってくれたけど、チョコレートクッキーの方があの子たちにはよかったのかな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする