天候不順は災害ばかりでなく、小さな希望も摘み取っていく。小学校では運動会を控えて、練習を重ねたいところだが、運動場が使えない。先程から音楽室でブラスバンドが繰り返し練習をしている。この辺りはイチヂクの産地だが、「今年は日照不足で甘みが足りない」と言う。ゴルフを予定していた人は「プレイができない」と嘆くけれど、ほんの少し、何かがいつもと違うだけで、期待は押し曲げられてしまう。
仙台にいる次女は、5月に生まれた赤ん坊の写真を毎日メールで送ってくる。ひとり遊びが出来るようになったと動画を送って来たこともある。昨日は「いよいよお指じゃぶりが始った」と心配したメールが送られてきた。指しゃぶりは子どもの発達に欠かせない本能のようなもので、ウチの娘たちもやっていた。長女の場合は小学校まで続いた。そのため次女は無理やり止めさせられたが、その代わりに、お気に入りのタオルをいつも引きずって歩いていた。
小児科の医師には、余りに母親が気にしすぎると習慣化すると言う人もいる。初めての赤ちゃんはどうしても過保護・過干渉になるが、子どもは安心して自由に動き回れることが成長の素だと思う。叱らない、制限しない、危険から守る、そしてスキンシップだ。赤ん坊は何でも口にする、そうして学習していくのだから、見守っていることが一番大事だろう。日本人はベタベタすることが苦手だけれど、本当は子どもにパパとママが仲良しであるところを見せた方がいい。
先日テレビで「JKビジネス」という言葉を始めて聞いた。JKとは女子高生のことで、散歩はいくら、手を握るといくら、お茶するといくら、というものらしい。要するに以前流行した援助交際のようなもので、なぜ彼女たちが「ビジネス」に走るのかを取り上げていた。お金を払ってでも彼女たちに相手をして欲しい男たちがいるということだが、学校や家庭に居場所がないことが原因と解説していた。
白石一文さんの小説『ダーウィンの法則』の冒頭に「人間という動物にとって何よりも大事なものはスキンシップ」とある。思春期は親元から離れて、新しい肌合いを求めるのだという。人はいくつになってもスキンシップを欲しがるわけだが、「ビジネス」になってしまうことが悲しいし情けない。白石さんの別の小説の中にこんな一文もある。「誰かに幸せにしてもらおうなんて虫のいいことを考えるな、そのかわりに誰かを幸せにしようと思え」。(『20年後の私へ』)