友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

恩師の次男

2014年09月21日 18時21分34秒 | Weblog

 恩師の息子さんも大学の美術を教える先生で、その彼から「12年に1度の展覧会を開きます」という案内状をもらった。地図付きの案内状ではあるが、「周囲は畑のため、住所がありません。途中、未舗装・農道になっております」とある。これでは初めて行く者には無理というのを見越して、「電車でお越しの方へ、スタジオシャトルのお知らせ」があり、駅の西ロータリーから12時、14時、16時の3回出発するとあったので、電車で行くことにした。

 初めて降りる駅西ロータリー。「愛知健康の森」へのシャトルバスはあるけれど、スタジコ往きの車の停留場所が見当たらない。公共施設ではないし、勝手にシャトルを動かしているのだから、停留場所の看板も置けないわけで、私の方がそれらしい車を探さなくてはと思っていると、正にそれらしい車が定刻前にローターにやって来て止まった。窓ガラスにいただいた案内状が貼り付けてある。その車でスタジオへ到着したが、自分の運転では分からなかったと思う。

 恩師は絵画教室を開いていて、私は小学生の何年間か通った。絵を教えるというよりもストーヴの上で芋や餅を焼いて食べさせてくれたことを覚えている。私が高校生の時は大学の美術の先生になっていて、私は急に先生の大学の美術を受験することになって、再び先生にお願いすると、「受験までに100枚デッサンしなさい」と言われた。先生のおかげで入学でき、先生のおかげで4年の時は東京で働かせてもらったのに、さらに先生のおかげで高校の教師になれたのに、いつも先生の期待に応えられずに別の道に進んでしまった。

 不義理への罪滅ぼしの気持ちもあり、案内状が届いた時は見させていただいている。私が先生の家でやっかいになり、先生の長男の家庭教師をしていた時、彼はまだ幼くてかなりの甘えん坊だった。今日、改めて見ると背は恩師よりも高く、さすがに彫刻家らしくガッチリとしている。顔立ちはお母さんに似ているが、目は恩師である先生にそっくりだった。短い時間だったけれど、昔話に花が咲き、おそらく恩師もこの光景を喜んでいると思った。先生、本当にありがとうございました。

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