月を眺めているだけで、何か穏やかな気持ちになるのはどうしてなのだろう。昨夜、午後10時過ぎにもう一度ベランダに出て、中秋の名月を眺めた。まだ、真上ではなかったけれど、雲ひとつなく神々しく輝いていた。冷たい光というよりも、暖かくそっと包んでくれるようだった。太陽が男なら月はやはり女の優しさに似ている。
朝、ニュースの合間に全米テニスの決勝戦の得点が表示され、錦織圭選手は残念ながらストレートで負けてしまった。仕方がない。サッカーのワールド杯の時もそうだったけれど、周りが余りに騒ぎ過ぎる。負けたからって落胆しないで欲しいものだ。勝負は時の運、どちらかが勝ってどちらかが負ける。マスコミは騒ぐのが使命だとしてもちょっとやり過ぎだ。
負けた錦織選手は完敗を認めながら、「来年また、ここに戻ってきます。そして必ず優勝します」と宣言していたから、やはり凄い選手だと思う。ファンや周りのスタッフへの気遣いかも知れないが、逆にそんなことが言えることが素質というものだろう。プロ選手が自ら「もうダメです」などと言えば、誰もその選手を応援しない。期待される選手であり続ける必要があるし、そのことが自らを奮い立たせることになる。
優勝したマリン・チリッチ選手の言葉も印象に残る。彼は錦織選手の健闘を称え、入場者や大会関係者への謝辞を述べた。薬物疑惑のため出場できなかった、だからこそ優勝への強い思いがあったことを知る。スポーツ選手は常に練習を重ねて結果を得る、自分が優勝できたのは努力のおかげだと結ぶ。それは錦織選手よりも彼が努力したということなのかも知れないし、努力すれば誰でも報われる、努力無しに勝つことは出来ないということなのだろう。
大学生の孫娘も、努力は必ず報われると信じていた。そうでなければ、辛くて苦しい練習を重ねようとは思わないだろう。確かに、「天才ですから」とか、「才能ですから」などと言われれば鼻につく。「努力したのだ」「やはり努力しかない」という結論の方が、みんなに希望を与えてくれる。それに、天才であっても才能があっても、「玉磨かざれば光なし」だから。