ヒガンバナが咲いていた。マンションの敷地の一角に誰かが植えたものだ。その南の日当たりのよいところのヒガンバナは既に枯れていた。中庭の森のようになっているところにもヒガンバナが咲くから、どんな様子かと見て来たが、こちらはまだ伸び始めたばかりだった。どんなに暑くても、秋分の日の頃には満開になるのに、今年はいつもよりも10日ほど早い。集中豪雨といい、木曽御岳の火山性地震といい、何か不気味な気候だ。
不気味というより、悲しくなる事件が続いている。自然のことは仕方がないけれど、人間が人間にどうしてそんなことをしてしまうのか。盲人の人が連れていた盲導犬が刃物で切りつけられた事件があったが、今度は盲人の女子高生が改札口から、白い杖を頼りに出てきたところ、その杖に躓いた人が、起き上がって女子高生の膝を後から蹴ったという。何という卑劣なヤツと思うけれど、これが人間の現実なのか。
私の街にも大学があって、そこに通っている盲人の学生がいる。道幅は狭く、歩道もない。大学に着くまでに信号のある交差点が2つあるが、信号の無い交差点もある。彼が歩き出すとどうしても大丈夫かと見てしまう。白い杖を頼りに歩いていくけれど、人や車にぶつからないかと心配になる。彼とすれ違う車や人は、厄介なヤツが来たと迷惑そうだ。迷惑なヤツという意識は、邪魔なヤツという意識に変わる。女子高生の杖に躓いた人は自分の失敗を相手のせいにしてケリを入れたのだろう。
ハンディキャップのある人は優遇されている。盲人のためには点字ブロックがあり、電車には優先席がある。公共施設の割引や優先駐車場もある。それが気に入らないと思う人もいる。人はどうしても弱い相手の立場に立とうとしない。むしろ障害者は生意気だ、優遇され過ぎだとすら思ってしまう。配慮しなければならない思いやりは憎悪へと変わってしまう。
話は飛ぶけれど、オバマ大統領は「イスラム国」へ空爆を徹底的に行なうと言う。「イスラム国」の残虐な行為は許されないが、空爆も同様に残虐な行為だ。どうも人間は立場の弱い人への思いやりを忘れている。強い人ほど、弱い人を軽く見る。どうしてなのだろう。