「すぐ妄想の世界に入るから」とか、「妄想が飛躍過ぎる」とか言われた。大阪寝屋川市の殺害された中学1年の男女は、「京都へ行く」つもりだった。なぜ?ふたりは愛し合っていたから。ところが周りの大人は、ふたりが真剣に愛し合っているのに理解しない。「ここに居ても結ばれないから、京都へ行こう」。「京都へ行って、一緒に暮らそう」。
子どもの頃、幼い男の子と女の子が恋をして、森の中を彷徨うモノクロ映画を観たことがある。ストーリーは覚えていないが森の祠のようなところで雨宿りし、ふたりはキスをする。初恋はこんな風に訪れると思った。中学1年はきっと運命が初恋を運んでくる時期なのだ。幼いふたりも京都の街のゆったりとした雰囲気の中で育てられ、本当の恋へと熟成されていくだろう。
あれから40年、10代だったふたりも50代となり、孫にも恵まれた。女性は相変わらず積極的でお調子者、周りの人々を笑わせる明るさにますます磨きがかかっているが、本人は「どうしてこんなに苦労が絶えないの」と思っている。色白で手足のきれいさは少しも衰えていないが、「賞味期限が来ちゃった」と言って笑わせる。男性は相変わらずおとなしく、黙って可愛い妻を眺めている。「どうしてあの時、一緒に京都まで来ちゃったのか。今更考えても仕方ない。これからどう生きるかだ」と妻を見て笑う。
綾小路きみまろ氏の毒舌を聞いたのは、観光バスの中だった。話は変わるが、東京オリンピックのエンブレムも白紙撤回となった。新国立競技場建設に続いてゴチャゴチャのうちに白紙となった。あれから‥、それは日本人らしい展開だった。そして「誰が悪いというものではありません」とまで言うところも相変わらずだ。日本が戦争へと突き進み、勝利した時は手柄を誇示した人々は負け始めるとその責任を押し付け合い、敗戦となっても誰も責任を取ろうとしなかった。
「あれから70年」。政治家のみなさんは「強い日本」の妄想に再び取りつかれている。罪のない人々を巻き込むよりも、私のように妄想の恋を追う方がいい。いや待てよ、政治家の暴走を見て見ぬふりは罪だろう。「誰が悪い」のか、見極める市民にならないとダメだ。