友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

仕方ない、明日も頑張ろう

2015年09月12日 18時51分45秒 | Weblog

 卒業生が「井戸掘りはほどほどに、あまり無理をなさらないようにして下さい」と暑中見舞いをくれたのに、今日は天気もよくなったので、朝から井戸掘りに精を出した。濃尾平野の真ん中だから簡単に水は出るだろう、そういう慢心を諫めるようになかなか進まない。地面から2メートルのところに水面が見える。底までは3メートルだったものを今日は4メートル50センチまで掘り進むことができた。

 水深は2メートルほどあるが、これは冬季になると枯れてしまう可能性もある。何とかもう少し掘り下げたい。6メートルほどの鉄管を人力で打ち込み、滑車で引き上げる作業を繰り返してみる。「アカン、息が切れる」と4回か5回繰り返しただけでへたり込んでしまう。それでも3人で交代しながら何度か打ち込んでみる。鉄管を引き上げて先端を見ると、見事にピカピカそしてへし曲がっている。

 先輩が「漬物石くらいの大きさの石がある」と言う。目に見えないのによくそんなことが言えると思ったが、そんな大きな石ではないにしても、小石がびっしり積み重なった層に当たったようだ。このところ真面に掘れたことがない。「よっぽど心がけが悪い人がいるな」と先輩は言う。するともうひとりが「誰でもみんなこの歳になれば心がけの悪い奴しか残っていない。今更よくすること自体が無理だ」と開き直る。

 心がけが悪いのはどうすることも出来ないとしても、さあどうする、どうやって掘り進める。明日、井戸の依頼主に現状を話し、もっと深くまで掘る必要があるが、重機で3メートル4方の穴を掘ってくれれば、底に私たちが入ってスコップで掘り進めることを提案しようということになった。先輩たちは76歳、一番若い私が71歳、しかも今日は3人。明日は午後からひとり増えるがこの人も77歳。こんな高齢者では力仕事は無理である。

 「健康のためと思えばいい」と先輩は言うが、息が上がってしまうから力仕事は長く続かない。「体力が落ちたなあ」と嘆くけれど、実際はもう前から仕事するたびに「はあ、はあ」言い、力が出なくなっていることに気付いていないに過ぎない。やっぱり限界だと思う。それでもまだ、「本当にできなくなるまでやろう」と負けを認めない。仕方ない、明日もまた頑張ろう。

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