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関ヶ原以来の天下取りを狙った長州と薩摩

2015年09月14日 18時36分01秒 | Weblog

 NHK大河ドラマ『花燃ゆ』では、木戸孝允が藩主・毛利敬親に版籍奉還をするように申し出ていた。敬親は「そうせい」と答えたが、家臣たちは納得できない。関ヶ原の戦いで大坂方の総大将であった毛利は敗れ領地を取られた。斬首され、領地を没収された大名もいたのに毛利家は残った。戦争は領地の奪い合いである。鳥羽・伏見の戦いで徳川側に勝った長州としては領土が増えて当然で、領土も領民も天皇に返すというのは納得できないことだった。

 これより1年前に、15代将軍徳川慶喜は大政奉還をしている。征夷大将軍の職を辞し、政権を天皇に返しますというものだ。大和朝廷の誕生以来、実質的な支配が貴族になったり武士になったりしたが、天皇が国の頂点だった。天皇に任命されて、政治を執行する体制を続けてきた。徳川幕府も同様で、何の権限も持たない天皇ではあるが、形としては天皇より執行権を託されて治めてきた。

 諸藩も徳川家が将軍職にあり、実際の政治は譜代大名から選ばれた藩主たちに任された。外様は江戸から遠い領地にあり、要所には有力譜代がいて動けない配置になっていた。関ヶ原から長い間、政権の座から遠ざけられた外様が金を貯え、徳川と戦う準備をしてきた。そこへ外国船の到来で「攘夷」を幕府に求め、幕府も「尊皇」の思想でもあるのに、天皇を担ぎ出すために「尊皇」をくっつけた。

 鳥羽・伏見の戦いの頃は、徳川幕府を倒して天下を取る、そんなつもりで長州も薩摩も土佐も動いていたはずだ。徳川慶喜の大政奉還は討幕の口実を打ち消すとともに、天皇側に国を治める人材も方法もないことを見越した策だったと思う。天皇を中心とした政治に対し、大名たちの合議制による政治の案も出てきた。どういう形にするかの具体案のないまま、とにかく天皇に一本化するために、徳川に倣って諸藩も版籍奉還させる策が立てられたのだろう。

 ドラマでは「みんなが夢を見られる新しい日本」という言葉が出ていたが、長州や薩摩は関ヶ原以来の天下取りが目的であって、やっているうちに西洋をまねた国家づくりになってしまったとうのが事実ではないかと私は思っている。

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