友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

取っ組み合いは見苦しい

2015年09月18日 17時37分30秒 | Weblog

 もうすぐ、安保関連法案が参議院本会議で可決・成立する。昨夜の特別委員会のドタバタが何度もテレビで流された。「良識の府である参議院で、あれはとても恥ずかしい」と言う人。評論家が「初めての作戦でしたね」と解説する。これまでは委員長席に野党議員が詰め寄って、採決を阻止しようともみ合いになったけれど、昨夜は自民党議員が委員長席を取り囲み、野党の行動を抑え込んだ。

 大学を出た良識ある大人が、「バカ」とか「アホ」とか「恥を知れ」とか、怒鳴り合い取っ組み合う姿は見ている方が馬鹿馬鹿しくなる。FBを見ていたら、「否決されて当然。それよりやることがごまんとある」。「問責決議も不信任決議もなんの拘束力もありません。ただのパフォーマンス。経費と時間の無駄遣い」といった野党批判が多かった。「やるべきこと」とか「経費と時間の無駄」とかよく言われるが、手っ取り早いことを望むなら独裁政治が一番だろう。

 時間をかけ、無駄と見えても審議を尽くすのが議会制度である。こんな批判もあった。「山本太郎一人だけ牛歩をやろうとしたが、議長に投票時間を2分と制限された。どこまでもアホなヤツだ」。山本議員は議長に権限のあることを知らなかったかも知れないが、私は牛歩とかフィリスバスターとかの戦術はあって当然だと思う。多数派にいる議員は分からないだろうが、なんとしても廃案にしたい時は、使えるルールはすべて使うことが議員の務めだと思う。

 けれども見苦しい行為はすべきではない。議会は多数決で決めるというルールがある以上仕方がない。醜いドタバタは「民主党にも非がある」と評論家は言うが、一番責任があるのは有権者だろう。選挙で自民党に投票した人たちと投票に行かなかった人たちこそ最大の責任者である。議会はいくら真摯に論議しても、最後は多数決で決まるのが今のルール。政党の縛りが強い日本では結論は見えている。

 55年前の60年安保闘争の時も、ものすごく多くの人が国会を取り囲んで抗議した。それなのに自民党政権はその後もずぅーと続いた。今回のデモが次の選挙で自民党を少数派にするようなら国民の政治レベルは高まったと言える。そうなって欲しいと思うがまだまだ先のことなのだろうか。

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