友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

勝てば官軍、負ければ賊軍

2015年09月17日 11時33分41秒 | Weblog

 長州の「討幕」はなぜ成功したのだろう。数の上では幕府軍の方が多いし、銃も大砲も勝っていたのに、どうして敗北したのだろう。長州軍が行進した街道には、譜代大名ばかりか徳川家と姻戚にある藩もあったのに、なぜすんなりと行軍できたのか不思議だ。「錦の御旗に驚いて敗走した」と教科書にあった気がするし、映画でも楽隊を伴って菊の御紋が更新する場面を何度も見た気がするが、本当にそんなことで道を開けたのだろうか。

「年貢を半分にする」と流言し、喜んだ農民が米を差し出したという話も聞いたことがある。戦争に善も悪もないのに、勧善懲悪が好きな日本人は、正義の味方が長州軍で、幕府軍は悪者のように感じてしまう。本当に長州は正義だったのか。『八重の桜』では軍の参謀役の世良修蔵の乱行が描かれていたが、実際はもっと醜悪であったというし、ドラマにはなかったが、鶴ヶ城下にあったたくさんの戦死体を、長州軍は埋葬を禁止し野ざらしにしたという。

 「会津に処女なし」という言葉が残されているように、軍の規律は滅茶苦茶だったと記している本もある。「勝てば官軍、負ければ賊軍」は、長州・薩摩軍と徳川方の軍との戦いを表している。長州も薩摩も「討幕」の中心となったのは下級武士であり、長州には身分の区別のない「奇兵隊」も存在した。下級武士たちも「忠義」に従っていたから、殿様たちは彼らを戦わせ、勝利した末には天下人になるつもりだっただろう。

 明治政府が打ち立てられ、はじめは貴族たちが政府の要職にあったのに、大名たちも藩知事の職を与えられたのに、いつの間にか下級武士たちが実権を握っていく。農民の子として生まれたが、父親が足軽の養子となったことで杉晋作の仲間となり、イギリス領事館の焼き討ちに加わった伊藤博文は初代内閣総理大臣にまでなっている。身分社会が崩壊し、「卑怯な振舞をしてはなりませぬ」と会津にあった武士の規範は消滅した。

 時代の流れは確実にある。政府・与党は安保関連法案を明日、18日までに参議院で成立させる腹だ。時代に逆行するような事態だが、こういう時があってさらに次へと向かうのだろう。国家とか議会制民主主義とか、きっと変わっていくだろう。

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