卒業生がメールを送ってきた。「僕が前回の東京オリンピックを体験したのは小学校の5年生でした。お絵描きが大好きだった僕は、あの〝日の丸″のエンブレムやポスターに、なんとも言いようのない驚きと感動を覚えました。それがデザインに興味を持ち始めた中学生の頃に「亀倉雄策-作」とわかり、瞬時に巨匠の虜になりました。そんなことからデザイン科を志し、46年間経った今もそのお仕事をさせて頂いております。
社会や政治から妙な方向性を感じておりますが、僕らの聖域、無から魂を生み出す創造の世界、デザインにまで妙な空気を感じてなりません。亀倉さんや永井さんの作品には恐れ多くて近づきがたい威厳、有無を言わせない完成度の高い存在感がございました。同時に理念・理論に基づく説得力を感じ、ただただ敬服することしかできませんでした。日本人にしかできないであろう伝統の意匠を保持しながらも、全世界の人々に言葉無くして意図を伝える。そんな世界に憧れ、自分自身の現実の仕事とのギャップを感じながらも、心の片隅にはいつも多くの巨匠の方々の魂を感じ持っております。
パソコンでデザイン作業をするようになった頃からでしょうか、インターネットの進化と共に広告界のデザインも、限られた特殊な人々の領域から一般の方々にも手が届くようになりました。僕ら広告デザイナーも、先生と呼ばれた時代もありましたが、デザイン料金と同様に随分立場が低くなりました。僕らのように60を過ぎた人間には良い時代もありました。今日、パソコンのお陰で作業も助かっておりますので、今さら感がございますが、これからという志しをもった若い方たちのことを思うと何だか寂しい気持ちになります」と、胸の内を語っています。
もうひとりの卒業生はフェイスブックで、「1964年の亀倉雄策のデザイン。 あのデザインをもう一度! あの作品に憧れてデザイナーになったようなものです」と言い、「佐野研二郎のデザインは、あちこちから集めたモチーフを組み合わせているだけ。 レゴの組み立て作家です。 昔ならいざ知らず、現在の様に画像検索できる時代では、モチーフをパクればすぐバレますよ。 レゴ自体を自分で作れないと、こいつは終るね」と、手厳しい。
気になるのは、彼らの母校でもパソコンの授業が多くなっていること。でも今年、卒業展を観に行くと、絵筆を使った精密画があった。パソコン習得の前に自らの美的センスを磨いて欲しい。白い紙に向かうと何かを描きたくなる、そういう生徒を育てて欲しい。