友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「いい子」は悪い子を育てる

2015年09月24日 18時08分41秒 | Weblog

 雨降りになってしまい、ルーフバルコニーでの作業が出来ない。それでも小学校の運動場からは鼓笛隊の練習が聞こえてくる。長い休みだったので、音合わせのために繰り返し練習しているようだ。天気予報を見ると、運動会のある今度の土曜日は雨になっている。こんなに練習しているのに雨では延期になってしまう。うまくいかないものだ。

 親が子どもを愛することは当然だ。ジジババになってみると、子どもの時よりも孫は愛おしくみえる。何やっても可愛い。発する一言ひと言が、気が利いていて、天才だと思えてくる。子育ての経験から、子どもたちが孫にイラついて怒ったりするのを見ると、「大丈夫、もう少し大きくなれば分かる」と言いたくなるが、孫を育てているのは子どもたちだ。グッと我慢である。

 酒鬼薔薇聖斗がホームページを開設したと、週刊誌の広告にあった。どんなホームページなのかと思ったのに、見てみようという気にならない。彼の書いた『絶歌』を読んだ。どうしてあんな残虐な行為に走ってしまったのか、それはよく分からないが、彼は「根の優しい子」(母親の手記)だったとは想像できる。

 彼の両親が書いた『「少年A」この子を生んで‥』を読んでも、どんなに愛して育てたかがよく分かる。愛情をたっぷり注げばいい子に育つと親なら誰でも思う。非行に走ったり、残忍なことをしてしまうのは、親の愛情が足りないからだと人は言うから、溢れるほど愛情を注いだ。けれどそれは、親の側からの見方で、子どもがどんな思いでいるかは無頓着だ。

 下重暁子さんの『家族という病』ではないけれど、親の愛情が重荷になることは充分ある。親はきっと、「いいのよ、あなたの思い通りすれば」と言うけれど、そう言いながらも「あなたは本当に優しくていい子ね」とも言う。子どもは知らず知らずのうちに親に逆らえない子になってしまう。

 厳しく叱る時は叱っていい。なぜ、叱るのか、親の言い分を聞かせることだ。「いい子、いい子」と甘やかせているのは、本当は親の思い通りにしようとしているのだ。子どもはわがままで、いい子であるはずはない。親や周りの大人を見ながら学習しいていくのが子どもだ。教師か反面教師か、子どもたちは判断しながら大きくなっていく。確固とした自分を子どもに見せることだと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする