友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ヒガンバナ

2015年09月23日 17時38分29秒 | Weblog

    

 昨日、静岡へ行く新幹線の窓から、田んぼの畔や堤防の土手に群生しているヒガンバナが見えた。駿府城の堀の石垣や土手にもヒガンバナの群生(写真左)を見ることが出来た。秋の彼岸が近づくと必ず姿を見せてくれる(5日前に知り合いの鉢で咲いたもの)。季節を知る能力は本当にすごいと思う。ヒガンバナは過ぎ去った思い出を蘇らせてもくれる。

 私の子どもの頃、祖母は「死人花」とか「地獄花」とか呼び、なんとなく嫌っていた。お墓には必ず咲いていたからなのか、「きれいだね」とは一度も言わなかった。「根っこには毒があるから」と素っ気なく言っていたように思う。ヒガンバナは別名で「女郎花」ともいうから、その怪しげな華やかさが男を引き付けるようで、嫌いだったのかも知れない。

 日本では「花は葉を見ず、葉は花を見ず」と言うけれど、韓国では「葉は花を思い、花は葉を思う」というから、悲しく切ない響きがある。ヒガンバナを韓国では「相思華」というそうだ。映画『冬のソナタ』のような美しい花ということだろうか。国によってとらえ方がずいぶん違うのも不思議な気がする。

 連休は井戸掘りもなかったので、21日と今日は朝からルーフバルコニーに出て、鉢の土の入れ替えの準備を始めた。古い土からサルビアの根を取り除き、これに新しく赤玉土とバークたい肥を混ぜ合わせて土を作る。しばらく寝かせておいて、ここにチューリップを植える。こんな作業をもう何年やってきたことだろう。

 チューリップの花はおよそ1週間の命である。風が強かったり、雨が続いたりすると、鑑賞期間はもっと短くなってしまう。お金と労力をつぎ込んで、わずかな時間しか楽しめないのに「よくやるわ」と娘たちに笑われるけれど、元気なうちは続けるつもりでいる。それでもいつまで出来るのか不安はある。結局、やることが励みになっているから続けられると思う。

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