雨は上がったが、冷たい風が強く吹いている。着実に春めいてきているのに、時々こんな荒れた日がくる。「春に三日の晴れ間なし」と、昔の人は観察している。四字熟語でも春がきたのに、肌寒い天候を「春寒料峭(しゅんかんりょうしょう)」というし、「三寒四温」はもっとポピュラーだ。寒い冬が過ぎ暖かな春の到来を東アジアの人々は待ちわびていた。
農耕民族だから、「春種(う)えざれば秋実らず」と戒めた。春に種を植えれば、秋には実を結ぶが、何もしないでよい結果を得ようとしてはならないと教えた。けれど今は、物を大量生産し、それを買って暮らしているから、金儲けをしなければ生きていけない。金儲けの出来ない人は、社会から落ち零れていくしかない。
人間はそういう社会をつくり上げてきた。だからだろうが、何か心温まる行事を大切にしている。誕生日祝いや結婚記念日の祝い、あるいは古い昔からの行事も、新たな行事も取り入れて、みんなで祝えば「ハッピー」と、声をあげて喜んだりしている。バレンタインが定着したように、ホワイトデーのお返しも盛んだ。
イタリアでカンツォーネを歌ってくれた老人が言ったように、「人生は楽しむためにある」のだ。人々は楽しむために働き、富を蓄えた人はもっと富を増やすことに喜びを見出す。カルロス・ゴーンさんがどういう人物か知らないが、富裕層になった人はさらに富を蓄えることに熱中していく。これは人間社会の宿命なのか、それとも発展途中の瘤のようなものなのか。
春休みに孫娘たちに会えるかと思っていたら、どうやら元号が変わる10連休も通り越して夏休みになりそうだ。社会人になった孫娘は生活が一変しそうだし、小3と4歳の孫娘の成長は著しいから、早く会いたいが、それぞれの都合もあり、ジジイは待つしかない。