アリスさんという人から続けて2回、コメントをいただいた。初めのコメントは3月21日の午前中で、「少し気になるブログだったのでこっそりと読み逃げしています。失礼しました。文章が流れる様で非常に興味深い」と大変なお褒めをいただいた。次に、その日の正午頃、2回目のコメントがあった。それは2009年10月24日のブログ「『方丈記』は何を伝えようとしたのか」をタイトルにした古いものだ。
21日は「春分の日」だったから、アリスさんも休日で、「少し気になるブログ」を読み直してくれたのだろう。それにしても、10年も前の記事にどうして興味を持ったのかと、私の方が興味を持った。アリスさんは「無学で全く文学には知識がありません」と断っているが、「こういった事は(方丈記で私が書いたもの)、信長と同様に、敦盛の一説と同じだと解釈します」と書いている。
「人間五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻の如くなり」という、桶狭間の合戦の前に、織田信長が能を舞い謡った「幸若舞(こうわかまい)」の演目『敦盛』の一節を持ち出してくるのだから大したものだ。そしてアリスさんは、「世の中には、良い人、悪い人、普通の人、色々と生臭く生きている。しかし、死亡率は100%です。(略)時は永遠に静かに流れるが、この世の生物は必ず死に直面する」と述べ、「時は無常であって、それを乗り越えようとする愚かな人間の一生は単なる夢幻の世界ではないかと愚考します」と結ぶ。
私もアリスさんの考えに賛同する。永遠に生きるなどは拷問でしかない。いつか必ず死ぬからこそ、この世は楽しい。素敵な人に出会い、素敵な時間を過ごす。そのために生きてはいるが、永遠に続くならこんなしんどいことは絶えられない。友だちがまたひとり危篤だと言う。旅立ちが早いか遅いかはあっても必ずその時は来る。「来るものは拒まず」である。明日は友だちの見舞いに行くつもりだ。