友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

父親への追悼コンサート

2019年03月17日 18時25分15秒 | Weblog

 ランチの後、午後1時半からコンサートが始まったが、2部は休憩を挟んだ3時からだったので、長女のダンナが気を利かせて、近くの駅まで送ってくれたから、5時前に家に帰ることが出来た。カミさんは5時から会議があると長女のダンナに伝えていたらしい。私は予定があった訳ではないから、最後まで居てもよかったが、それではまた余計に世話をかけることになると思い、カミさんと一緒に帰ってきた。

 コンサートは長女のダンナのお姉さんが、父親との思い出を語りながら歌う、「父への追悼の歌の会」で、参加者の多くが親類縁者と思われる。お姉さんは学校の先生だが、声楽家でもあり、このところよくコンサートを開いている。お父さんは欠かさず参加し、娘の歌を評価していたようだ。当初は厳しいことを言っていたらしく、「気持ちが凹んでしまった」と言う。「褒めないと伸びないよ」とお父さんに告げたら、ある時、「うまくなった」と言ってくれたそうだ。

 お父さんも音楽好きで、若い頃はジャズバンドを組んで演奏していた。サックスを担当していたと聞いた。ピアノも弾けたし、歌もうまかった。長女夫婦に子どもが生まれた時、私に「『孫』を一緒に歌いましょう」と言われたが、実現しないまま亡くなられた。子どもの成長を喜ばない親はいないが、どうも父親はうまく表現できないようで、励ましのつもりで言ったのに、相手を落ち込ませてしまうこともある。

 父親は子どもたちに自分の夢を語ることなど恥ずかしくて出来ないから、家庭では無口になるか、小うるさい存在になってしまいがちだ。私の父は高3の時に亡くなったから、男同士で酒でも飲みながら話すことは出来なかったが、その代わりカミさんのお父さんの話し相手にはなれた。私の父が長生きしたとしても、多分男同士の話など出来なかっただろう。父親と子の関係は、当然のことだが、友だちのようにはならない。

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