朝から強風が吹き荒れる嵐の一日だった。朝のテレビはイチロー選手の引退を特集していた。カミさんの友だちはイチロー選手を中学校で教えていて、それがちょっと自慢でもある。この地方の人はイチロー選手を知らなくても、勝手に誇りに思っている。彼のプロ野球人生は、塗り替えられないだろう立派な功績であるが、私の関心は、彼が話す言葉の機知と重みである。
若い頃のイチロー選手はどこか生意気な態度のように感じていたが、実績を重ねていくと不思議なくらい「なるほど」と思うようになった。45歳になっても若い時と変わらない体形を維持していることも、彼のひたむきさというか執念の結果だろう。誰が何を言おうと、自分のやり方・生き方を変えない頑固さがある。多分、やり方を変えたならこんな結果に辿り着くこともなかっただろう。
引退した後、どうするのか知らないが、「税金を納めるようにしたい」と言っていたから、何か考えることがあるのだろう。「サヨナラは悲しい言葉ではない」と誰かが言っていたが、まさしく卒業と同様に、新たな出発である。「会者定離」という言葉があるように、出会いがあれば必ず別れがある。以前、「別れるのが嫌だから、恋愛はしない」と言った人がいたが、ならば生きていることも無意味になってしまう。
愛して苦しんで傷ついて、それでも求め合う、残念ながら人間はそういう存在なのだ。何もしなければ、出会うこともないし別れることもないが、小さな草木でも花を咲かせ実を結び朽ちていくのに、恐れていては喜びも悲しみも味合えない。人生がよく分からなくても、自分の心の命ずるままに生きていく、それが人であろう。イチロー選手のような超ストイックな生き方は例外で、多くの人は迷いながら悔やみながら、生きるしかない。
今日は長女のふたりの娘といっぱいトランプをして遊んだ。「七並べ」は私が勝ったが、「神経衰弱」は小3の孫娘が強く、初めてやった「七五三」とか「一九三」は私の完敗だった。小3の孫娘をはじめ皆が笑い転げてくれたから、情けないが「ヨシ」とした。