友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

いけばなの師範になった甥っ子

2010年09月18日 19時44分43秒 | Weblog
 私は正直である。私はと言ってしまったが正確には、私の身体は正直であると言い直した方がよかった。もちろん、私は正直であるように努めてきた。社会人になれば、特にお金が絡むような取引になれば、「ウソも方便」と考える人もいるけれど、私は「正直が一番」でやってきた。決してウソは言わない。ただ、初めから100%正直で行くのか、少しずつ出していくのか、それは相手に合わせていく。ウソを言えば、そのウソがバレないようにまたウソをつく。すると、ホンの小さなウソだったのに、大きく信用を失うことになる。それならば、ウソは言わない方がいいというのが私の経験である。

 そういう「心の問題」ではなくて、身体はどうしようもなく正直である。このところ、朝晩はかなり涼しくなった。すると今朝から鼻水である。身体が重く、鼻水が止まらない。まだ、花粉症という言葉が一般化していない時は、風邪かな?と思っていた。それが季節の変わり目に必ず表れると、なんだー粉症かと納得するようになった。けれど、どうも身体が疲れている時に顕著なのだから、風邪だと考えていいように思う。まあ、そんなことはどうでもいいことだけれど、要するに秋になってきたわけである。空を見上げれば、高いところにスジ雲がある。金木犀の枝にまだ小さいけれど、花房が形成されてきている。もうすぐお彼岸だけれど、ヒガンバナは準備ができているのだろうか。

 生け花の先生をしている甥っ子が、展覧会の招待券をくれたので出かけてきた。甥っ子は風貌が兄貴にそっくりだ。いや兄貴よりも品のある顔立ちをしている。話し方もゆったりしていて、決して相手を押し込めるような言い方はしない。私は兄貴とは13も歳が離れているので、子どもの頃のことは知らないが、姉からはこんな話を聞いた。「あの子は身体が大きかったから、かけっこをすればダントツに一番だったのね。それが運動会の時、先頭を走っていたのに途中で止まって、みんなが来るまで待っているのよ」と。ああ、兄貴らしいと思った。兄貴は人と競うことが苦手な優しい人だったと思う。甥っ子もそんな兄貴の血を受けているようだ。

 甥っ子は公務員だけれど、どうして生け花に興味を抱くようになったのだろう。この甥っ子の下の弟は日展の彫刻家になった。彼はどちらか言えば、風貌は私に似ている。私と同じように野心家なのだろうけれど、野心ためには手段を選ばずというタイプではなく、上手に時流に乗っていくことができない。まあ、それは我が家の血筋なのだろう。気の毒だけれど、私をはじめ甥っ子たちも「まあ、こんなものじゃーないですか」と身の不運を恨むような気配はない。だから社会的な意味での出世はどうも望めそうにないが、落ち込んで自暴自棄になることもない。きっとまわりが大変な思いをしているのだろうけれど、それも我が家の血筋なのでご容赦いただきたい。

 せっかく展覧会に出かけたのに、甥っ子の作品展示は明日と明後日であった。場所を確認すると入り口付近だ。一番人が集まるところである。どんな作品なのか、もう一度見に行ってこようかと思っている。
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決まったからには

2010年09月17日 20時24分27秒 | Weblog
 新しい菅直人内閣が発足した。閣僚の顔ぶれはよく知らないが、出発したからにはしっかりやってもらわないと困る。そう、何でもそうだけれど、決まったからには全力で取り組むことだ。それは他人の評価ではなく、自分がどうであるかということだと思う。他人は、「がんばっているね」とか、「まだやれるよ」とか、場合によっては「努力しているの?」とか、いろいろ言うけれど、自分が納得しているかだと思う。「一生懸命やって」と励ましてくれるけれど、どこまでやればいいのか誰も判断は出来ない。

 たとえば、自分ではまあまあやっているかなと思っていても、他人は「凄くがんばっている」と言う人もいれば、「それでもがんばっているの」と言う人もいる。自分自身でもまあまあがんばっていることでも、80%尽くしたと思う人もいれば、50%しかやれなかったと思う人もいる。80%であっても50%であっても、それが自分の力だと思うならばそれでいいように気がする。がんばることの中身を判断するのは自分自身なのだから。

 それにしてもこのところ、朝晩は急に涼しくなった。今朝は9時から上総掘りのための足場作りを行なったけれど、空を見上げると雲はひとつもない秋晴れだった。あの暑さから解放されるのだから当然もっと井戸掘りをがんばらなくてはならない。あちらこちらから、「いつ掘りに来てくれるのか?」と催促もされている。肝心なのは、この方法で掘ればいいという道具や作業が調わないことだ。これまでの私たちの井戸掘り技術では、濃尾平野のようなところではうまく出来た。ところが地盤が固い粘土層があるようなところでは突き進めない。それが突破できる技術と道具が必要である。

 何でも一足飛びにはいかない。菅内閣も船出はできたけれど、実際の航海はこれからだ。大波が控えている。どう舵をとるのか、菅さんや岡田さんらの腕の見せ所だろう。そういえば、駅前で若い男が街宣車の上で演説をしていた。こんな田舎の小さな駅頭でもやるのだと思ってしばらく聞いていた。内容は中国への弱腰は許さないというものだった。その中で、先の戦争は侵略戦争ではない。アジア解放の戦いだったと話していた。話すというよりも書いたものを読み上げていたので、あの怒鳴るような演説調ではなかった。一方的に押し付けるというよりも読み聞かせる口調だった。

 右の人は盛んに街頭活動を行なっているけれど、左の人は目立った活動がない。既成左翼に反対した新左翼と呼ばれた人たちは今、何をしているのだろう。時々、全共闘世代の感傷的な回顧本などが出たりはするが、全共闘運動は全くの花火だったのか。人の一生の中にも、荒れ狂うような時期もあれば満ち足りて穏やかな時期もある。世の中の動きもまたそんな風に移り行くものなのだろうか。民主党の代表選挙ではマスコミが小沢タタキのキャンペーンを行なったと週刊誌は書いていた。マスコミには当然のことだが中立はないから、どちらが首相にふさわしいかを暗に宣伝したのだろう。

 繰り返すが、決まったからには全力でやる以外にない。
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何だかよくわからないままに

2010年09月16日 20時58分35秒 | Weblog
 ゴルフから帰ってきた友だちから反省会に呼ばれて、昨夜はどんな風に寝たのか覚えていない。夜中に寒くて目が覚めた。北と西の窓を閉めた。雨が強く振っていた。それからタオルケットに包まってまた眠った。肩と首が痛い。やはり、秋になってきたようだ。昨日は凄い雨降りだったけれど、ゴルフ場ではそんなに雨は降らなかったそうだ。ゴルフをしない私が反省会に出席することもヘンな話だが、反省会は口実でみんなでワイワイやりながら飲むことに意義がある。

 飲んでしゃべって、いったい何を話したのだろうと思うけれど、全く思い出せない。酒の席はまあこんなものだろう。それにみんな歳をとってきたせいか、酒の量が減った。昨夜はいつも出かける中華料理店が満席だった。若いお父さんやお母さんが多かったから、何かの集まりの後の会食なのかもしれない。この店は安いから、学生に人気があるが学生さんは余り見かけなかった。店主の40歳前後の中国人は売り上げを伸ばしてお金を貯めたのか、昨年は母国から立派なテーブルとイスを取り寄せて新しくした。

 店の中国人の女性が「チョットマッテクダサイ」と声をかけてくれたけれど、どう見ても空きそうにない。「駅の方へ行ってみるか」と歩いていくと、まだ開店して間がない串揚屋があった。ここには男の客が4人いるだけだ。昔懐かしい串揚げの店だった。まだ、名古屋の広小路に屋台が並んでいた頃、大学の友人の同級生だったという男とそのお母さんが屋台を出していて、2・3回行ったことがある。安いといっても学生の私たちは気軽に行けなかった。飲まずにはいられないほど、酒がすきというわけでもなかったので、友人に誘われた時に出かける程度だった。

 今、岡田外務大臣が民主党の幹事長に決まったと報じられた。堅物といわれる岡田さんが幹事長になるのは菅さんにとっては絶対必要なことだったのだろう。私の個人的な思いでは、外務大臣は日本の顔だから岡田さんにはもう少し外務大臣を続けて欲しかった。いずれにしても、菅さんの次には総理大臣を務めて欲しい人だ。ギリシャ彫刻のような風貌と余り雄弁でないシャベリがアンバランスで、まあそこが誠実さに結びつくのかなと思う。岡田さんを原理主義者という人もいるようだけど、岡田さんの原理とは何を指すのだろう。

 挙党態勢という解釈も菅さんと鳩山・小沢さんでは違っていたようだ。鳩山・小沢さんはグループのバランスをとること、つまり気に入らないグループにもポストを回すことだと考えたいたのに対し、菅さんはみんなが協力することだと考えていた。さて、これから党内の人事をはじめ閣僚に誰を任命するか、面白いところだ。人間は不思議なもので、あれだけ協力したからあれだけ愛したからと見返りを期待する。逆に、重要なポストにつけてもらったり、頼りにしているとか愛しているとか言われると、相手をより好きになるが、反対なら憎悪してしまう。

 まあ、国の政治のことは菅さんに任せよう。私は自分のことだけに集中するエゴイストになりきろう。そう思っていたのに、大家ともめている店子の人から相談を受けて、その人を弁護士に紹介するために明日は出かけることになった。頼まれるとイヤと言えない性分は治らないようだ。
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反省会に呼び出される

2010年09月15日 18時43分54秒 | Weblog
 友だちとカミさんは、朝からゴルフに出かけた。こんな雨の中でもプレイしなくてはならないとはお気の毒としか言いようがない。せっかく車を置いていってくれても、雨では遠くに行くこともできない。岐阜の友だちが伊吹山の花たちの写真をブログに載せていたから、行きたかったけれど諦めるしかなかった。仕事のない年寄りはこういう日は何をしているのだろう。

 何時だったか、村山由佳さんという小説家がNHKテレビのお昼の番組に出ていた。彼女の作品は以前、本屋で『おいしいコーヒーの入れ方』を立ち読みしたことがある。青春小説といったもので、それ以上の印象は残っていない。それが『ダブル・ファンタジー』でガラット変わった。女流作家が「性」を描くとこういうものになるのかと感心させられた。男と女は性で結びついているのか、愛で結びついているのか、愛に性がなければまた逆に性に愛がなければ、この命題に向かって、彼女は突き進んでいるように思った。

 柴田練三郎賞の授賞式で、村山さんは「どうか私を止めないでください。何という作家に賞をやってしまったのかと苦笑するような作品を書いていきたい」と述べているそうだ。それを読売新は「腹をくくった作家」と評していた。青春小説を書いていた作家から転換を図るためなのだろうか、それとも腹をくくるためなのだろうか、彼女は刺青をしたそうだ。刺青をする前には父親に電話で、親からいただいた身体に申し訳ない(?)と話したそうだから、並々ならぬ決意である。何でも中途半端にしかやれないのに、えらそうに「一生懸命に生きてきた」と自己弁護している私とは大違いである。

 おっと、今、電話が入って、ゴルフからもうすぐ帰ること、すぐに反省会をするので着替えて参加するようにと言う。じゃー、今日はここまで。
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民主党の代表選挙

2010年09月14日 19時25分02秒 | Weblog
 民主党の代表選挙で、菅直人さんが小沢一郎さんを抑えて当選した。国会議員はわずか6人の差であったけれど、菅さんが小沢さんを上回った。地方議員票は3対2で、党員票は5対1で、菅さんを支持していたから、国会議員がどう投票するか注目された。8月下旬、小沢さんが立候補を決意した時点では国会議員は小沢支持が多いと見込んでいたはずだ。負ける選挙はしない小沢さんだが、今回は勝ち負けよりも小沢プランを見せたいという決意が漲っていたように思う。「政治生命を賭けて、いや私の命を賭けて」と繰り返していた。

 私の周りでは、「そんなものじゃーないか」とどちらか言えば結果に安堵していた。どうしても小沢さんには金権体質がチラつくからだ。「検察に進んで協力したけれど、何もなかった」と言うけれど、なぜ土地を購入しなければならなかったのか、やはり疑問が残る。政党助成金のお金がどのように流れたのか、全く不透明だ。機密費と同様、詳細を明らかにすれば手の内を明かすことになるというが、そういうわけの分からない金を必要とするような政治のあり方を根本的に変えたかったから民主党に期待したのだと思う。小沢さんは田中角栄さんの手法を受け継ぐ最後の人というイメージが強いから、「小沢さんではなあー」と思ってしまうのだろう。

 菅さんを知る人から、「愛知万博に反対して欲しいと話に入ったら、『地元の議員で誰が反対しているか』と言い、『止めさせることができますか』と現実しか見ていない。もう、ガッカリした」と聞いたことがある。現実主義者という評判もウソではないようだ。学生運動よりも市民運動へ向かい、議員となって政治にかかわるうちに、理想論では立ち向かえないと思うようになったのか、そもそも菅さんは理想論など持ち合わせていなかったかもしれない。常に少数派に位置していたから、多数に擦り寄るクセが付いてしまったのかもしれない。だから私は、そんなに多く菅さんに期待はしていない。小沢さんよりはましかなという程度だ。

 9月も半ばだというのに今日も暑い。「こんな陽気でお彼岸にヒガンバナは咲くのだろうか?」と聞くと、「アサガオは日が沈んでから14時間後に開花する。植物は気温よりも日照時間を基準にしているから大丈夫だ」と教えてもらう。「秋が短くて、すぐに冬になると予想されているけれど、それはどうなの?」と物知りへ質問が飛ぶ。天候の不順は一時的なもので、地球はもっと大きな単位で変化しているそうだ。地球温暖化が叫ばれているけれど、地球は今、氷河期に向かっているのだそうだ。そういえば、昨夜のNHKテレビ『クローズアップ現代』では、原子とか分子ではないものの存在を探求する先端科学を取り上げていた。

 未知のものがまだまだある。逆に考えると、人類が国家を形成して以来、追求してきた政治の仕組みにはまだ未知のものがあるのだろうか。いやなければならないだろう。夕方、植木鉢に水遣りをしようと外に出るとシャツではいられないくらい寒かった。風は北から強く吹き付けてくる。やはり、季節は変わりつつある。菅さんはこれからどんな風に民主党を運営していくのか。菅さんの理想論が聞きたい。
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認知症高齢者の悲劇が続く

2010年09月13日 18時34分46秒 | Weblog
 介護に疲れた息子が親を殴り殺す事件が続いた。息子と言っても、還暦を過ぎた70歳前後だった。2000年から介護保険制度が始まり、高齢者を社会全体で介護する方向が決まった。家庭で看ることで家庭崩壊が生まれていたから、画期的な制度の発足だった。けれども、保険料では質のよいサービスが提供できないことも明白になってきて、在宅介護が叫ばれるようになった。再び、介護の必要な高齢者を家庭で看る方向へと向かったのだ。

 親を殺してしまった息子は40代から30年近くも親の面倒を看てきた。親も普通の高齢者だけであった頃は、そんなに見守ることも大変ではなかっただろう。しかし、高齢化が進み、認知症も進行してくると、親が赤ちゃんのようになっていく。赤ちゃんは日に日に可愛さを増していくけれど、高齢者の赤ちゃん帰りはどんどんわずらわしくなっていく。手間がかかるだけではなく、しっかりしていた時の親を知っているだけに、いっそうどうしてなのかと腹立たしくなってしまう。

 親子であるだけに、愛惜が憎悪へと変わってしまうようだ。しかも、30年間も続けていると、子育てならばだんだん手間がかからなくなるし、普通の病気なら回復に向かうのに、高齢化で認知症が進んでくると、介護はどんどん重荷になる。先が見えないというよりもますます暗くなる。絶望的になるのは当然のことだろう。ここで貧富の差が大きく作用する。お金があればそうした施設に入れればよいが、無い人は自分で親の面倒を看るより他ない。

 昔だって、親の面倒を子どもが看てきたと言う人がいるが、それは何時の話なのだろう。お年寄りが長生きになったのはつい最近のことだ。昭和50年代頃から、高齢化が話題になりだした。医学の進歩で長生きする人が増えた。それ以前は、長患いをする年寄りも3ヶ月もたたないうちに旅立った。嫁が義父や義母の面倒を看たといっても、短い期間でしかなかった。それが、3年どころか10年20年と続けくのだから面倒看る方が倒れてしまう。

 介護保険制度で、嫁は血のつながりのない義父や義母の世話から解放されたのかもしれない。自分の親くらいは自分で看る風潮も生まれたのだろう。介護をしている人は圧倒的に配偶者が多いが、その次は血のつながった息子や娘ではないだろうか。介護施設は相変わらず手が足りないから、そこで働く人は「家の人がいるのに、どうしてもう少し面倒を看ないのか」と不満を持つ人もいるが、介護を必要としている人を世話するのが自分の仕事であることを忘れている。それだけキツイ仕事になってしまっているのだ。

 給料をもらって世話をしている人だって不満や愚痴が出るのだから、ずぅーと親の世話をしている子どもや配偶者が、殺してしまって楽になりたいと考えてしまうのも無理はない。坂本竜馬ではないが、「みんなが笑って暮らせる国を作る」ためにはどうしたらよいのだろう。いずれ、幼い子どもたちも大人になりやがて年寄りになっていく。みんながみんな、殺しをするわけではないけれど、たとえ1件でも2件でも、そうした悲劇が生まれないようにするのは、やはり制度の問題だろう。

 明日は民主党の代表選挙だ。「国づくり」は政治の役割。智恵を縛らなくてはならないことがいっぱいある。
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高校の文化祭を見た

2010年09月12日 19時02分16秒 | Weblog
 孫娘の高校の文化祭に行ってきた。50年前の私が高校生の時とも、高校の教員をしていた時とも、全く違っていた。入り口は改札口のようになっていて、一人ひとりチェックできるようになっている。チケットを持たない人は入れない。けれども逆に、チケットを持っていれば誰でも入ることができる。金髪で長髪、耳にたくさんのピアスをつけた高校生らしき人物も堂々と入場していったし、校舎に入れば、そんな目立った子どもたちで溢れていた。「凄いところへ入学しちゃったね」と言うと、「今はどこの学校もこんなものよ」と娘は言う。〈警備〉と書かれた赤い腕章をつけたグループが見回っていたし、さらにビックリしたのは〈風紀〉の腕章のグループもいた。私たちの時代でも〈風紀〉なんて係りはなくなっていたと思うけれど‥。

 1年生のクラスはゲームのような展示が多く、3年生は演劇が中心だった。2年生のクラスはやはりその中間と言うところだろうか。1年生のクラスで、ビデオカメラを使って映画を作り上映していたけれど、それは見事だった。私が教師だった時に、美術部の子どもたちが8ミリでアニメを作ったけれど、まだ技術的にも未発達であった時代だったが結構面白く作り上げていた。この1年生のクラスの作品が最優秀であったと思う。3年生のクラスの演劇を2クラス見せてもらったけれど、どちらも似た感じだった。絵本の「桃太郎」と「不思議な国のアリス」をモチーフに、高校生らしく脚色してあって、なかなかの出来栄えであった。大道具や小道具は随分凝っているのに、演技の方は練習不足であったり、逆にさすがに高校生と思うほどアドリブが効いていたり、そのクラスの雰囲気がよく伝わってきた。

 クラブの発表は余りなかったが、体育館での生演奏はアンプの調整が悪いのではと思うほどだったが、さすがに音楽を行なう長女のダンナは「わざとそうしているんですよ」と教えてくれた。不協和音による音楽表現は私が20代のころから始まったように思う。ビートルズの後、ロック音楽が生まれて、不協和音を追及する人たちも生まれ、音楽も強烈な自己表現が珍しくなくなった。これに比べると、文芸部や美術部、天文部などは相変わらずだった。表紙のデザインが素晴らしく斬新であったので、文芸部の部誌を1冊もらってきたけれど、中の作品は幼さが漂っていた。新聞部も生徒会のコーナーもなく、時代を象徴している気がした。

 ミニスカートの女子高生がいっぱいいて、皆同じように長い髪をくるりと巻き、つけまつげをし、目の下にはハートや星のシールをつけ、「まるで週刊誌に出てくるキャバクラみたいだね」とダンナに話すと、「今の子はそれしか売るものがないんですよ」と教えてくれた。一見すると女をむき出しにしているから、オトナっぽいようなのだが、私たちの時代よりも子どもっぽくなってしまったのかもしれない。座り込んで、パンツ丸見えになっていても、平気でいるのもそのせいなのだろう。暑い日だったから、彼女たちの薄いセラー服は汗に濡れブラジャーがそのまま見える。そういう見え見えの子で白のブラジャーはひとりもいなかった。

 孫娘は融通が利かない子だけれど、時代が全く違うのだから、それはそれなりにやっていけるのだろうかという私の心配に、娘は「やるんじゃーない」と答える。
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冤罪でなくてよかったけれど

2010年09月11日 21時17分45秒 | Weblog
 厚生省の元局長に、「証明書の発行を部下に指示したとは認められない」として無罪が言い渡された。冤罪にならなくて本当によかった。本人が闘いとおしたからだろう。女の人の方が、イザとなると根性が座っているのだろう。全共闘世代の作家、高橋源一郎さんは横浜国立大の学生だった時、警察に捕まった。上層部から「捕まっても決してしゃべるな。黙秘を貫け」と言われてそうしていたら、「コイツは大物だ」と勘違いされて長期留置になったという。意外にも捕まった仲間はペラペラとしゃべっていたのだそうだ。男は勇ましいことは言っても根性がない。先の戦争で負けた時も、「あなたはこの戦争の責任者だから腹を切るべきだ」と女房に説得されてやっと自害した大将がいた。この国の男たちはどうも言動に責任を持たないことを伝統にしている。

 この事件は、障害者団体「凛の会」(後の白山会)が郵便借り引き制度の適用を受けるために厚生省へ働きかけ、その証明書のおかげで、約37億5千万円もの郵便料金を支払わずにすんだというものだ。この制度を利用して大手企業がダイレクトメールの発送を依頼している。これほどの利益を狙った事件なのだから大きな力が働いていると考えるのは当然だろう。捜査に当たった大阪地検特捜部は、「凛の会」が民主党の国会議員に働きかけ、国会議員が厚生省の部長に口を利き、部長が局長に「議員案件だから」と指示し、局長が担当の係長に指示したという構図を描いた。けれども、判決は1.「凛の会」の元会長が国会議員に証明書発行の口添えを依頼した事実はない。2.部長が局長に発行を指示したことはなく、発行は議員案件ではない。3.局長から証明書をもらったとする元会長の証言は信用できない。4.局長が係長に証明書の作成を指示したとは認められない。5.局長に犯行の動機があったとは認められない。

 無罪の人が有罪にならなくてよかったけれど、でも腑におちない。証明書は確かに発行されている。初めは局長からの指示と言っていた係長も「自分がやった」と証言しているが、役所が上司の許可もなく勝手に発行することがあるのだろうかと疑問に思う。仮にそのとおりであるなら、厚生省という役所はとんでもないところだ。そこまで日本の役所は腐ってはいないだろうと私は思っている。誰かが「依頼」し、誰かが「発行」したことは間違いない事実なのだけれど、犯行を認めている係長は誰からの依頼だったのか、それは何のためだったのか、どうして発行しようと思ったのか、大阪地検が私のような素人が考えるようなことを見落としていたは絶対にないはずだ。

 小沢一郎さんの金にかかわる疑惑についても、特捜部は何の目途もないままに動いているとは思えないけれど、こうした検察の証明力のなさを見せ付けられると、どこかで何かが狂ってきているのだろうと思えてくる。絶対的な権力者の登壇を憧れる土壌づくりが無意識のうちに進んでいる。
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人生は流れる雲か放たれた屁だ

2010年09月10日 21時31分22秒 | Weblog
 朝のNHKテレビ『ゲゲゲの女房』で、高校3年生の娘が「勉強が特にできるわけではないし」と進路のことで悩んでいた。すると、彼女のおじいさんは「好きなように生きればいい。人生なんて、流れる雲のようなものだ」と言う。その後で、「悩んでいる若者には分かりづらい言葉だったな。人生は屁のようなものだと言った方が良かった。一時は存在するけれど、すぐに消えてしまう」と訂正する。私はテレビを一言も漏らさない気構えでは聞いていない。どちらかいえば、時計代わりにつけている。だからセリフがこのとおりだったかは自信がないが、こんな意味だったと思う。

 へぇー、面白いことを言うおじいさんだなと思った。流れる雲も屁も、要は一時的なものだ。確かに目に見えるし、見えない屁だって臭いがあるから実在する。この世に生まれてきた人は、幸せだった人も不幸だった人も、誰でも必ず実在したことには変わりない。この世に生まれ出た私たちは、これからどんな人生を歩むのかと、期待と不安の交差する複雑な思いで歩むことになる。そして果敢に挑む。こんな人生ではないはずだ。もっと違うはずだと。お金持ちになる人もいれば、有名人になる人もいる。社会的に高い地位を築く人もいるし、「立派な人だ」と言われるような人もいる。会社にとってなくてはならない人になる人もいるし、ボランティアで活躍する人もいる。

 たくさんの人がこの世に生まれたのだから、当然たくさんの人生がある。誰もが自分が生きてきた証というか、評価を求める。けれども、生きてきた意味は人から与えられるものではなく、自分が納得するものなのだと、老いてきた今は分かる。流れる雲のようだとか屁のようだと言えるようになるには、やはり年月が必要だと私もこの歳になって分かった。そう、おじいさんが言うように、本人はとても重大なことだと思うけれど、人生などは流れる雲や放たれた屁のようなものだ。一瞬、この世に実在するけれど、あっという間に消えてしまう存在でしかない。燃えるような恋が美しいのもそのためだ。

 だからこそ、一瞬に全てを注いで生きていく価値がある。流れる雲のような、放たれた屁のような、人生であってもそれを評価できるのは実は自分でしかない。おじいさんが「好きなように生きればいい」と言うのは的を射ている。好きなように生きること自体が分からないという人が多い中で、自分がこうしたいものがある人は幸せだ。まずやってみる。民主党の代表選挙の小沢一郎さんを見ていると、最後の賭けに出ていると感じる。私は小沢さんには総理にはなって欲しくないけれど、彼の生き方としては、自分が決めた道を突き進んでいこうという覚悟があるような気がする。

 人生は流れる雲であり、放たれた屁なのだから、やってみたいことがあるならばやってみるべきだし、それができるような人は本当に恵まれている。けれど実は、小沢さんの人生も平凡に生きてきた人の人生も何も変わることはない。人の命などは一瞬の存在でしかない。好きように生きてみることこそが一番大事なことなのだ。
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明日は今日よりもよい日になりますように

2010年09月09日 21時58分00秒 | Weblog
 やはり台風一過、今朝は肌寒いほどだった。植木鉢は南からの風を想定して並べておいたので、今日のように北から強風が吹きつけると、ひっくり返る鉢があり後片付けが大変である。太陽の沈む位置も確実に南に移動している。しかも日の入りは早くなっている。暑い、暑いといいながらも季節は秋へと向かっている。今月末の土曜日かあるいは日曜日、小学校の運動会なのだろう。今朝も全校児童が揃って行進の練習が行なわれた。1年生のクラスなのだろうか、女の先生がグループごとに先頭に立って見本を示していた。

 今日は市議会の本会議で、一般質問が行なわれた。いろいろ相談にはのったけれど、傍聴は遠慮した。私は黒幕ではないし、影響力を持ちたいとも思わない。質問されたことには答えるけれど、ああだこうだと指摘したり、内容に踏み込むことまでしないと決めている。人はそれぞれに個性があるし、考え方や関心も違う。自分で考え、行動すればいい。「無党派・市民派自治体議員と市民のネットワーク」の仲間とならば、とことん議論することはあるけれど、それでも押し付けたりは出来ない。

 「無党派・市民派自治体議員と市民のネットワーク」は、あくまでも自分を切磋琢磨するための勉強会で、政党のような組織ではない。無党派・市民派ならば、来る者は拒まず去る者は追わずの緩やかなグループである。みんなの意見が一致すれば、先回のようなアピールも行なう。年に1回は大学の先生などを招いて公開講座を開いているし、みんなで先進地の視察にも出かけている。仲が良過ぎることがちょっと玉に傷なのかもしれないが、緩やかな組織性こそがこれからの政治にかかわる大事な要素ではないかと思っている。

 それにしても、民主党の代表選挙はかなりヒートアップしてきている。同じ政党なのかと思うほど相手を批判している。これも「緩やかな組織性」なのか、不思議に思う。名古屋市の河村市長と市議会は、お互いに論議を否定はしていないのに、全く相手を受け入れる余地はない。市議会は、河村市長の政策は市民に敵対するものであるならば、市長不信任案を成立させればよいものを、選挙になることを恐れて、市長の提案をことごとく否決あるいは修正して先延ばしにしている。河村市長が市議会の解散以外にないと吼えるのもよくわかる。

 何か分からないけれど、どうも世の中ギクシャクしている。景気が悪いせいなのだろうか。でも景気はよくはならないだろう。もう頂点に来ているわけだから、右肩上がりではない経済のあり方を模索してほしいものだ。経済のことは分からないけれど、どう考えても結局はプラスマイナスでゼロとなるのが経済の基本なのではと思う。誰かが儲ければ誰かが損失する。みんなが生きていくことができるような仕組みをつくることは政治の役割だ。

 明日は今日よりももっと暑くなると予想されている。明日もよい日になりますようにと祈るばかりだ。
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